置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

   月明のうた。

 月がのぼった。
 金星を美しくしたがえて
 梍《さいかち》の梢を高く
 屋根屋根を低く照しつつ。

 どの家もおとなしく雨戸をしめ
 ひっそり
 甍《いらか》に月光をうけている。

 なかに ただ一つ
 我が窓ばかりは
 つたえたい何の思いがあるからか
 月に向って精一杯
 小さな障子をあけている。

 いよいよ蒼み 耀きまさり
 月も得堪えぬ如く
 そそぐ そそぐ わたしの窓へ
 満々として 抑えかねたその光を

 ああ今宵
 月は何たる生きものだろう

 わたしは燦《きらめ》きの流れから
 やっとわが身をひき離し
 部屋へ逃げこみ襖をしめる
 こんないのちの氾濫は
 見も知らないという振りで。

 けれど
 閉めた襖の面をうって
 なお燦々とふりそそぐ 光の音は
 声ともなって私をとらえる

 月の隈なさを
 はじめてわたしにおしえたその声が
 今また そこにあるかのよう。

  一月二十三日

 二月十九日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 二月十七日
 十六日の御手紙ありがとう。
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