見られる人が船のりでありましょう。操縦されはじめると、人間も本質的には終りね。秀吉だって若いときはそうでもなかったでしょうが、老年になって螢《ホタル》が泣《鳴》く歌をよんだら、そろり新左が、螢が鳴いたということは天下にないとがんばって、すこしけんかめいて来たら、細川幽斎が、雨が降って鳴く虫は一つもいないのに螢ばかりが鳴いている、という古歌をもち出して、「されば螢も鳴くと見えます」などと云って操縦しました。それできげんを直すほどヤキがまわったから、あの始末ね。この話は、細川幽斎という人物を私たちにきらわせます。細川という殿様はこういう処世術をあの時代に珍しい学問にからめて持ち合わせていて、大大名として今も一番の金持華族です。細川といううちは政治に手を出さないのが慣わしの由。日本の美術蒐集では圧巻でしょう。春草の「落葉」は護立侯所蔵ですし。
 きのう、ふと活字が大きいのにひかされて谷崎の「盲目物語」をよみました。覚えていらっしゃるでしょうか、昭和七年頃。横とじの、吉野の手すき紙で装幀して横帙に入れた本よ。小谷の方と淀君の少女時代につかえた盲目の按摩、遊芸の上手が、信長の妹お市が、浅井長政の
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