が、これ亦芸術は分からない。ヴィクトリア式という、偽善的なような礼儀のやかましさもヴィクトリアの女らしいがんこで狭い道徳趣味からなのね。それを、イギリスの中流人が、自分達の生活感情の偏狭、独善と融和させたものであったようです。このストレーチイはエリザベスを描き、これは大きい性格の女で大きい時代に生きたから、個性とその環境を描いても相当面白いものだがヴィクトーリアは、その後の繁栄のコースを生きつつ凡俗なイギリス社会の風潮とヴィクトーリアという女性との交互の形成を描かないと、やはり面白つまらないと云う程度に止りますね。それにつけても王侯たち、特に女性たちが、本当に聰明になろうとするのは、何と大した、殆ど不可能事だということを痛感します。普通のひとよりひとに一つでもよけい頭を下げられる立場のものが、自分をいつも生きた人間に保っておくということは何とむずかしいでしょう。紫式部は相当のおばさんで、中流の女性が、自分の生きてゆく努力のために箇性も発揮して面白い人が多いと観察して居りますが、全く世間の女より十倍も二十倍も優秀でなければ、ああいう人たちは優秀になれない条件です。愚鈍になるように出来てい
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