の奥さんは私の身を思いやって見舞まで心配されました。そういう人たちの篤い心からはなれたのは、その女の人の自身の責任ではないでしょうか。
 こんなこともあるし、又昔印刷工だった小説家が、郊外にひっこんで、瓦一枚ずつ書いてためたという家を建てたとき、周囲はそれを軽蔑しました。けれどもこの作家は自分の弱点を生活者らしさで知っていて、伏せの構えをはじめからやって、現在も肱でずるように「日本の活版」というような小説を書いています。印刷技術の発達史のようなものらしい。その時分軽蔑した人が、現在になって二百円の着物だタンスだ家だと、その人が引越したよりもっと田舎にさわいでいるという姿を思い合わせ、私としてはやはり感じるところがあります。人々の姿は、実にくっきりと浮き彫りにされる時期があるものね。そうやって、私はこうやって坐っているぐるりにすぎないが、いろいろ眺めて、学ぶところも少くなく、大切な時期の私心から出発して一歩が、どんな結果を招くかということについても軽く考えては居りません。そういう判断に当って一箇の才分とか自分[#「自分」に傍点]の見せ場だとか対立の感情(まけた、勝った、世俗的な)だとかが
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