ているのも興味があります。ルーベンスの浅薄さとよろこびの横溢を理解してその対蹠的芸術家として真の大芸術家としてレンブラントを書いているのです。
白樺の人たちがレンブラントを紹介し、日本ではゴッホとレンブラントは云わば文学的に崇拝されています。しかし、レンブラントにせよゴッホにせよ、そういう崇拝は、自分たちにないものへの安易な崇敬として評価されているのでしょうか。自分たちの可能の典型として愛し尊敬しているのでしょうか。私はよくこの疑問を感じます。煩悩の少い、テクニカルなことに没頭したり、フランス亜流に彷徨したりしている人々に、どうしてこういう芸術家たちが、体と心をずっぷりと人生の激浪の底につけて、そこから年々のおそるべき鍛練によって我ものとつくり上げて来た芸術の不動な真実をしんから理解出来ましょう。ベルハーレンが、レンブラントの描く人間はいつも窮極においてのっぴきならぬ情熱のどんづまりにおいて描かれている。決定的なものだが、ルーベンスなどはそういう人間のつきつめたもの、その真実、そういう永遠性はちっともないと云っているのは本当ね。ルーベンスの画集は裸体であふれていて、それを切りとったら
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