来る絵勉強の女の子がかしてくれました。
私は今にこの気に入った宗達について、是非何か書きます。書いてみたい画家などのことちっとも知らないが、本ものの芸術の気品というものについて云うなら、写楽をかきます。本ものの芸術の流動性、計画性、写実性、いのちのゆたかさというものについて云えば宗達をかきます。写楽って、ああいうあご長やどんぐりまなこの人顔を描いたが、犯せない気品があって堕落した後期の歌麿の、醍醐の花見の図の絵草紙的薄弱さとは比かくにならず又、偽作はどうしてもその気品を盛りこめないから面白い。あんな生き恥のような晩年の作品をのこした歌麿さえ、仕事を旺《さかん》にやった頃はやはり気品が満ちています。遊女を描いてもそこに品性がありました。芸術として。芸術が稀薄になって来るとき生じる下品さは、憫然至極救いがたいものね。才能の僅少さの問題ではありませんから。いつか宗達のエハガキを手に入れて見て頂きとうございます。きっとあなたも賛成して下さいます。歌麿は余り売れて、濫作の結果、井戸を汲みつくしてしまったように消耗涸渇して、あの位晩年下らない作をつくった大天才は絵画史にも例が少い由。文学の世界に
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