作家だということを昔から知っている人、新潮の「文芸日記」つけはじめたときから私のかいたものや、写真知っている人は、まさか一定の必要から興味もなく書いたものをひっくりかえしたり、うの目たかの目の人より常識に立ってものごとが判断されるのは自然です。自分の生涯というものについても現在いるところよりは少しひろく遠いところに着眼している人は、一つ一つ目の前のものを自分の跳び台にしようとあくせくすることもないようです。
同じ風邪をひくにしても、いやないやなひきかたと少ししのぎ易いという場合もあり。私は疲れは附随的なものでどうしたって何かすれば疲れなければならないのだから、疲れるなら、余り悪質でない疲れかたで経過したい考えです。
誰か行って体の様子その他お話するといいのですがほんとに不便ね、しかし、この頃つづけて書いた手紙は、割合よくそのこともつたえているのではないでしょうか。何時間も自分で話しつづけている必要はなく、比較的あっさり物を云う丈でやって来て居ります、それも疲れをすこし助けます。
暑くなると、やはり間にそちらに行くのは無理ね。そう感じます。一区切りつけて、旅行に出る前に参ります。そ
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