すべきです。支那の人は士は己を知るものの為に死す、という表現を与えているけれども。こんな三国志的表現はもっと爽快なもっと色調あふれ、諧調ある近代の精神の中に一層複雑な内容で輝いているのでしょう。
人間が病気から徐々になおってゆくとき、生活力が少しずつ少しずつたまって来るとき、人生を又新しいもののように受とり、醇朴に近づき、謙遜にもなるのは、うれしくたのしい思いですね。私が近頃感じている仕合わせにはこういう要素もあるの。そして、自分がこんなにひどく損傷され、まだこんなひどく不自由で、それでこういうよろこばしい感情を折々、寧ろ屡※[#二の字点、1−2−22]持てるのは、どういうわけかとそのことについて真面目に熟考するのです。丁度五月頃の夕方のトワイライトは、ものの上にある光の反射をなくするので様々の色が却って細かく見えるように、私の今の程度の弱さが、自分の心やひとの心のニュアンスをしみじみと眺め、それを映すのでしょう。私の頭は不快な疲れというものをこれまで知りませんでした。柔軟で自分の活々とした働きをたのしむように根気よく、よく役に立ったが、今は疲れ易くその疲れかたは苦しくいやなものです
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