している子だけれども、この春には結婚するらしく、そしたらあんまりつき合うこともなくなるでしょう。
 ロビンソンは漱石が文学論のなかで、十八世紀文学の常識と無風流と、日常性の見本として、何処にも壮美がないと、あの人らしい美学を論じていますが、成る程、仰云るような古くささが、作品の低さの眼目なのね。漱石の型式美のカテゴリイの問題ではなかったのね。面白いことは、漱石が作家的、また人間らしい稟質の高さから、この作品の意に満たないところを直感しながら、その不満の拠りどころを型式美学に持って行ったところが、いかにもあの時代ですね。ロビンソンのことは漱石の文学論を読んだ時、フリイチェの文学史的な解釈と対比して印象深かったので、短いお手紙の文句だったけれども色々考えを動かされました。あとの文学史先生は、ああ云う作品の発生の起源をちゃんと説明はしているけれど、それに対して今日の読者である私達が、つまらないと思う直感の正当さとその理由に就て、触れてゆくだけの力は持っていませんでした。文学に於ても史家は、そう云う静的な立場から、極く少数の傑出した人々が踏み出すばかりなのね。
 この間、始めていかにも気持よく
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