すが。きょう忘れてしまって。又帳面がいりますね。

 八月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根芦ノ湖の写真絵はがき)〕

 八月十七日
 栗林さんが明日又行くそうですから、改めてよく話しておきました。あの人として提案がありましたが其は御意見を伺いました上でのことです。
 気分のよくないとき、遑しく用件をお話しにならなければならなくて本当に本当にお気の毒です。体をねじるような動しかたは禁物よ、平らに平らにとお気をつけ下さい。そして、ゆっくり、そっと、ね、どうぞ。

 八月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(土田麦僊筆「罰」の絵はがき)〕

 八月十八日。きょうは入沢さんの本をよんだり看護婦勉強いたしました。チフスの後に視神経炎や眼精疲労が起ることがある由、そうでしょう。だから、こまかい字をお読ませしないようにいたしましょうね。熱はいかがでしょう、二週間目に入りいくらか上るのではないでしょうか。

 八月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月二十四日
 大して高い気温でもないのに、(午前九時八十四度)むして、汗がひどくて凌ぎにくいことね。
 背中がさぞむれますでしょう、熱はいかがかしら。十二日頃から数えると、きょうで十二日、二週間目がそろそろ終る頃です。その病気は二週間目の熱が頂上で、三週間目はそれが持続しつついくらか下りはじめる也と入沢達吉さんの本にあります。そして、その時期に、腸出血や穿孔が起りやすいということもかいてありました。入沢さんは体重一キロにつき35[#「35」は縦中横]カロリーの食餌を患者に与えて常に好成績であると云って居られますね。
 ジャガいもの柔かく煮たのなどは、食べるときお箸でもう一度ねるようにして十分上れそうに思います。試みて御覧になったら? トマトは種子《タネ》はよけてね。そして、乾燥玉子は、小児科のお医者はさけて居る位ですから普通の玉子煮(フワフワ煮)にしてからでないと上ってはいけまいとのことです、じかに召上ったりは大禁物よ。あれは調理する前二時間水につけておいてとくのですから。(うちでいつもやっていますが)
 眼がお疲れになるといけないと思って手紙一寸ひかえて居りましたが、それはつづきそうもなくなりました。手紙は、せめて、私の行けない日について、暫くは何かとお喋りもいたしますものね、おまけに、あわただしくてついお話しのこすこともあるし。
 この夏、東京にいたのは、何とよかったでしょう。十三日の電報を、もしどこかの田舎で見て、それからどんな汽車でも一番早いのをつかまえてかえって来るというようだったらその間の心配で、田舎に行っていた二十日や一ヵ月はけし飛んでしまったでしょう。ほんとにあのときの心持思い出すと、田舎なんかで、一人であのショックを堪えて何時間かひどい汽車でもまれたりしたら、きっと今頃又病人だったに違いないと思います。よかったわね、それでさえも又眼が妙になったのよ、そこで土曜に医者へ行きました。薬を注して瞳孔を開いて眼底をすっかり調べてくれました。やはり前同様で、視神経は萎縮してはいないのだそうです、ビタミンBしか薬もない由。せいぜい美味いものをたべて、休養しなさいとのことで美味いものというときはお医者も呵々大笑よ。私も大笑いいたします。ユーモアも時代的です。あなたもBが一番大事だそうですが、ずっと上っていらっしゃるでしょうか、メタボリン上って下さい。あれを一日十錠―十五錠のむと五ミリとかで、注射するのと匹敵するそうです。又島田へお金を送って願いましょう。もう補充もあやしくなってしまったから。
 夜はよくお眠れになりますか、本当に本当に御苦労さまです。今週は一方が休みになりましたから、水、金とお見舞にゆきましょうね。
 ちょいちょいとして上げて、小さいことでも、快適とわかっていることを何一つしないで石彫りのコマ犬のように眼ばかりキロキロさせてひかえているお見舞というのは決して決して楽なものではないことよ。少くとも良人を見舞う妻の最大の忍耐をもとめることです。
 大変同感される詩を見つけましたからこの次はそのお話。(作家とテーマ)をかいた詩人の作品よ、あのひとのものならわるかろう筈もないと申せましょう。お大事にね。

 八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月二十六日
 さっきの雷は大きかったこと! どこへ落ちたのでしょうね、太郎が学校で粘土をこねていたら火柱が見えましたって。私は横になっていて、思わず両手で耳をおさえてしまいました。
 大雷雨の後にしては湿気が多いけれど割に涼しくなりました(八十一度)。けさは咲と寿とが開成山へ立ちました。
 咲は一日か二日。泰子はよくありません。百日咳が動因となって何か複雑な病気になって
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