であると感じます。
 私は何とかして仕事しなければならない、体癒さなければならない、出かけねばならない。なければならないことがあるとないとで、人間はおどろくべき差異を生じます。自分を支配して生きるか、自分に使い倒されて生死するか、その違いが生じ、つまるところでは、生活しているか、いないか、というところに立ちいたります。沁々目を瞠ります。そういう生活を今日快適にやるには巨大な財力が入用です。それがない。ですから快適ではない。生活の輪を何とかおさまるところまで縮少して、家の中をコタコタこねまわして気をまぎらすが、時代の大きい力は不安となって漠然いつも周囲にあり、一層気分的になってゆきます。これは消極の廓大です。こういう車輪のまわりかたを一方に見、一方では、所謂積極に廻転さそうとして若い娘《ムスメ》が、何とも云えない眼を光らせるのを見ます。それは互に反撥し合うの。
 私はどっちにも左袒出来ません。人間をつまらなくしてしまうモメントというものは何と毎日に溢れているでしょう。私にそういうモメントがないというのではないのですし。小説でしか書けないわけとお思いになるでしょう? 小説を書こうと思うわけとお考えになるでしょう、こういう歴史の時期に、経済力をドシドシ弱化されつつある中流の生活と、土台堅気な勤労者の気風なく生活を流して来た小市民のレイ細な生活における成り上らんとする欲望の型とはごく典型的です。もの凄じく、しかも深い人生図絵の感興があります。
 目白のお医者様などは子供三人、おばあさん、その他小さい家にパンパンで、坐るところのないような中に、子供をねかしつけつつなかなか根本的な研究労作をやっているようです。そういう生活ぶりの話が出ても、一向感覚ないのだから、私は生活のもたらす愚鈍さというものについてはげしく感じざるを得ないわけです。
 でも私ももうもとのように素朴に我から弾け出てはしまわず、ここにある私にとって健全なもの、子供たちとの接触、何人かの家族がいるということに在る私の感情のふくらみなど、十分評価し、私がいるということで、太郎もほかのひとも、自分たち以外の生活態度も在ることを知るのは、全く意味ないことでもないだろうと思い、落付いて、快活で、かんしゃくと愛嬌とを交々にやって居ります。本当に巣とはよく云ったものですね、ツルゲーネフは貴族にだけつけて小説の題としたが。あれこれお喋りいたしましたね。でも、云わねば腹ふくるる、のよ。犬っころにしたって、時には一つの前肢を手のなかにとって貰いたがるでしょう? マアあれね。

 六月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 六月十一日 おとといときのうはかなりの気温でしたが、きょうは七十八度ほど。七十度代だとこの位なのね、大分楽です。
 八日づけのお手紙ありがとう。ぐみ頭の訴えをしたので、やっぱり御心配をかけすみませんでした。でもこの手紙とゆきちがいに又の二通がついているでしょうから、そういうちいさい苦情は大したことなく、むしろ疲労しているにしろ体はよくなって抵抗力が出来、リアクションが生じるところまで来ているのだそうですから、御安心下さい。月、木の次の日は、よく用心して休むし、この頃は歩くのもかなりしっかりになって来ましたし、字だっていく分抑揚がついて来たでしょう?
 用事は、今のテンポなら七月初旬までには一片つきそうですし、さもなければどうしても休暇をとります。七月十日以後は出かけることはとりやめにして、もし出来たら田舎の温泉へ行きます。八月九月の中旬までいて、残暑の苦しさがすんでからかえります。私の体も今年のうちにしっかりさせておかないと、来年は今より薬も食物も不自由になることは明らかですから。眼も特別な場合にはこの位のものがこうしてかける(これだけよ、でも、こんなにかけるのは)し、新聞は駄目でも八ポイントぐらいの本は、五号の活字でなくてもたまによめるようになりましたし、そういう能力は、ふだんの四分ぐらい迄戻りました。こんなにして、不自由ながらいつの間にか一年もしてこの頃は楽になったと思うのかもしれないことね。段々、家康ではないが、不自由を常と思えば、のことになって来るのは生活の微妙なところです。必要にひっぱられて何とかやるようになるところ。鉛筆で小説かいたりして全くびっくりします。これもいいことよ。微熱の出るようなこともないし、根本的な心配はございません。
 この前行ったときは、前日外出した翌日だったからほんとうに疲れていたの。翌日に出かけるような心持だから、動悸だってひどかったし、口をしめているのが無理ぐらいで、おそらくはれぼったい顔していましたでしょう。出かける方はやめられないし、今の組み合せでつづける方が、私として前のコンビとは比較にならない好都合です。この人は
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