がいるのだから、もし私がこんな病気やこんな永い不自由さにうちかてたら、つぶれて消えずに光れたら、それはいくらか石らしい石なのかもしれないわね。あなたが手の上にのせて退屈なときはそれを鳴らしてあそぶことも出来る位緻密な質の石のかけらかも知れないから、そう思うと一寸たのしみでしょう。自分をよく見張り、よく導き、忍耐や研究やの価値もあるというものです。それにつけても才能は義務であるという言葉は立派な言葉です。最も人間の謙遜と誇持[#「持」に「ママ」の注記]とにみちた言葉ですね。
隆治さんへの小包のこと、よくしらべて見ます。
魔法ビンは、つまらない名をもっているわね、マホーの瓶なら、こんなにさがしてこんなに気をもんでいるぐみ頭の細君のために、手叩き三つ位で、一つはどこからか出て来たらいいじゃあないの、腰抜けねえ。時勢で通力を失ったと思えば可笑しく哀れね。国男さんまで動員してひねくっていますが、この節はああいう仕事をやって見ましょうと云うものがいなくて全く全く閉口です。むき出しのツルツルに籐のザルのついたのをそのまま使えるか、カゴをはずさなくてはいけないか、おしらべ下さい。すっかりすきとおしで見える目の大きい蛇ばらかごですから。もしよかったらそれをお送りします。大きくなくて三合せいぜいでしょうが。ビールビンは殆どのぞみなしよ。口のまとめかたその他困難の由。
家を引ぱって行くこと。規定で、その家が焼失しかけたとか、全く古くなってくずれかかっているとかいうのでないと手がつけられないのだそうです。かんとく官庁(警察の建築課)の首実検がいる由。そうしてみると島田のような事情のところは山手よりに家を買うしかなくなりますね、その家たるや法外な価です。この頃新建ての貸家は水道ガスなしですが、それで八、四半、三位で四十円以上です。大したものです。どうして暮せているかと思うほどです。
森長さんには土曜日に届けられます、支払うべきお金があるなら知らしてくれるよう申そうと思います。
動坂の方をまわってかえったときぐるっとあの家の方を歩いたら、やっぱり樹かげをガラス戸にうつして家はありました。そして、大学生(どこかの)がかえって来て、小さい子がおかえんなさいと反対の方へかけ出して行きましたが間借している様子でした。昔のわが家というものをそとから眺めるのは不思議な感じね、すっかり面変りがしていますから。目白もそうよ。
六月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
六月八日
六月二日と四日のお手紙をありがとう。細かく、そして私の病気の状況をよく思いやって考えて下さり、本当にありがとう。どんな養生にも技術上の点があってそれに習熟しなければ、やはり十分よく病気を直したと云えないことはわかります。そして、病人が、自分を甘やかしたり医者に甘やかされたりすると、決していい癒りかたをしないことは世上の例ですから、私として、あなたのつけて下さる点が、単純に辛すぎるということはないのよ。一つ一つ異った病気をしているときは、それぞれに一番いい養生法を発見しなければならず、それには、前のときの自分の病人ぶりを研究してそこから学ぶしかないのだし、前とのちがいを見出しもしなければならないのだから、そのための助力として、自分よりももっとひどい病気ととりくんでいる人の忠言は大事です。どうもありがとう。変に意気込むようなことはないから、御安心下さい。たかをくくってもしまいませんし。この眼のダラダラした癒りかたが、万事を語って居ますから。失敗しないということは何もしないということだ、という言葉は鼓舞的ですが、逆は真ならずだから、まさかに、失敗したということは、何かしたことだとは云えないわね。大笑いね。
二日のお手紙二日おいて五日につき四日のはきのう着いたのですが、すこし御返事がおくれたについては、満更わるくもないニュースがあるの。
文芸協会から――今の文学報国会――自選作品集を出します、いろんな人が一篇ずつ小説を出して。私は「今朝の雪」というのをのせます。『婦人朝日』に「雪の後」という題でかいたものです。やっと綴じ込みをかりて来て、うつしてもらって相当手を入れ、厚みのついた作品となり、短篇としては満足です。この間の手紙で、ぐみ頭[#「ぐみ頭」に傍点]につきいくらか歎息をおきかせしましたけれども、こういう思いがけない仕事で、現在の力でどんな風に仕事出来るかわかったし、小説をかいてゆく心持も柔かく重くなっていて決してわるくないし、うれしいのよ。この間一寸お目にかけたかしら、松屋のザラザラでうすくてペンがつかえないような原稿紙。あれに鉛筆で一行おきに写してもらってそれをなおしたのですが、悪いことばかりはないものなのね、松屋のあのひどい原稿紙だと鉛筆でかけるのよ
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