えてやって下さいまし。寿の生活態度で私の気に入らないところをいろいろ見ると、環境から、その反射みたいなところが沢山あって、気がつよいようで弱いから、自分の暖かさがヒイヤリしたものにさわると、引こんで自分もつめたくなってしまうのね。其関係で状態は悪化するのです。わたしのように自分をむき出して、おこったり親切したりではないのね。寿が何か云うときの皮肉さ、冗談らしく云われる侮蔑は、全く針のようよ。はっと思うことがあります。それをそう感じるような人には寿は決して云うわけもない、というわけです。
こういうことを考えても、侮蔑や憎悪にさされて暮すより、一人での方がずっといいわ、自然なだけでも。家庭というものは、全くピンからキリまでありますね。気心のわかった信頼にみちた、そして人間の向上する欲望をひとりでにもっている家庭というものは多くはないものなのかもしれないわね。親切さのあるのさえ。
きょうはつづけて、もう一通かくのよ。それでは淙々としたせせらぎの鳴るのを聴きましょう。霜のおりた、松の葉のしげみの下に、伊豆は、冬でもりんどうの花が咲いて居ります。冬でも、りんどうは咲かずにいられないのね。紅く色づいたはじの木の葉が、りんどうの花の上におちます。音もなく、風が吹いたとも覚えず。西日は木立の幹々を黒く浮き立たしてその叢にさしていますが、花の上に散り重ったはじの葉の色に、あらゆる光と熱をあつめたように、一点にこって滴ります。
そして、その輝きの上にサラサラと雪が降りかかります。
十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十二月二十五日 第二部
今ふっと気がついて奇異の感にうたれました。十二月二十五日と云えばクリスマスでしょう、いろんな国々では前線でさえ何かの形でお祝いして居るわけです。ディケンズは、クリスマス・イーヴに鳴る鐘の音で、因業おやじさえ改悛すると考えましたし、人々は其をうけ入れました。わたしたちのぐるりにあるこの静寂はどうでしょう。時計のチクタクと田端の方の汽車の音だけ。それに私がこうやって話しているペンの音と。日本はキリストの誕生にも煩わされていません。ニイチェならよろこんだでしょうね。
そう云えば、この頃は紙がないのにニイチェ流行です、いく通りも本が出ます。そういう時期が昔にもあったわけでした。樗牛。この美文家はニイチェをかじって歯
前へ
次へ
全220ページ中215ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング