くわけです。ブランカは、本能の中にその美しさを嗅ぎつけて居り、其をのぞみ、いくらか丈夫な脚ももっているのですが、昔話の久米仙人のように、雲から片脚はずすことが間々あるのね。ロボーのように堂々として、ゆるぎなく、光のようにまじりけないわけに行かないのは悲しいことです。
金《きん》の心、ということが形容でないことを感じるのは何と大したことでしょう。わたしはこの春思わず声に出して、ああ、これこそ純金だ、と感じたことがあります、今もその感じが甦ります。
金に青銅の一定量が混った鉄びんのふたというものが昔つくられました。それは一つの芸術品で、よいふくらみをもった鉄びんに、そういうふたがのると、湯の煮えるにつれて実に実に澄んだいい音がして、気もしずまります。そういうものの一つが、ずっと質のわるいのだがユリのところにあって、冬はよくその音をききました。火鉢にかけて。金《きん》だけではそういういい音に鳴れないのよ。質の下ったしかし不可欠の青銅が入らなくなっては、其が音を冴えさせないというのは、面白いことね。「新しき合金」というオストロフスキーの小説の題は、そのことから考えても、本当に新しい題だったのですね、青銅が、ブロンズ・エイジ風の質にしろ、その質として純粋でなくては、金に混ぜることは出来ないでしょうし。自分だけではなれない青銅が金と合わされて、金をも音にたて自分も鳴るとき、うれしさはいかばかりでしょう。つよく弱く、遠いように近いように、それは鳴ります。小さな鈴をふるようなリンリンというとも鳴りを、松籟の間に響かせて。
この手紙はこれで終り。その小さい、いい音がそこにも聴えるでしょうか。
十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十二月二十五日
いまうちにいるのは子供二人、手伝い、私だけ。寿江子はアパートさがしに出かけ、二人と太郎とは伊豆行です。ことしの暮は、珍しく三十一日までおめにかかれますね、十年ぶりに。
十六日のあとのお手紙というのは、いまだに着きませんどうしたのかしら。いつも二三日、五日で来るのに。御自分の宛名(住所)おかきになったのではなかったかしら。それでいいようなものの郵便は字面で動くので、却って不便もあるわけです。わたしはきのう南の兵隊さんにハガキ出して、切手がはっていないことを思い出したのは、二時間も経って、そちらで、ぼんや
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