は文学より外の刺衝が入用であり(志賀直哉の時代に美術と音楽がそうであったように)近代ではそのミディアムがもっと科学に接近してい、しかも科学の資質では文学そのものではなく、例えば「北極飛行」は全く新しくよろこばしい文化資質の典型の一つでありますが、文学作品ではなく、文学作品として「ピョートル大帝」がやはり今日までは大作として代表され、しかしあの資質は決して「北極飛行」よりも新しいものではありません。ここにも文学の資質の新しく発現する可能のむずかしい過程があります。これから後十年経てば、この問題はおのずから全く新しい答を見出すでしょう、しかし、おそく花の開く国ではあとまで考えられます。だから或時期における文芸批評の大切さというものは想像以上であると今更思われます。或意味でより若い新しい資質がそこに発芽するのは当然であり、より旧墨になじむ文学的資質はそれと摩擦し、しかし一方で魔法の杖のように新しい資質へよびかけそれを引き出すものです。新しい文芸評論は既に自身の新たな分析力による段階を脱し、分析しつつその分析の美しさ精神のリズムの綜合的な魅力でそれをおのずから綜合的な創造的な鼓舞へ向けてゆくものでなければなりませんね、その志向において愛に燃えていなければうそです、人生へ向って、ね。どんなにそういう評論をよみたいでしょう。「三人の巨匠」はややその渇をみたします。よみたい欲が自分に幼稚なものも書かせました。が、私はもう小説に限ります。あらゆる私の作家としての問題、宿題、予測をすべてあなたに訴えることにきめました。私は小説のことがこの頃又すこし分り、評論のことも又すこし分って来て、制作として二途を追いにくいことが明瞭となりました。或る成長の後二つは却って兼ねにくいもののようです。どちらもそれぞれ全力を求めます。二つの神に仕えられないと昔からいうのはうそでない。
私は自分の中の評論家にいくらか手引きされつつ刻苦して自身が呈出している課題を克服して行ってみたいと思います。我々の世紀、私たちの時代、限界のなかで、文学の資質はどの位まで更新し得るものであるか、そのすべての条件を試みてみとうございます。私に小説のことがすこし分って来たというのはまやかしではないでしょう? こうして、私は自分の問題から段々ぬけ出して、日本における一定の世紀の文学的資質というものへの答えを捧げたいと思うのです
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