い犠牲に立っています。泰子は無心だし、母の愛情は情熱的ですが、人の体の力は限りがあるから、母親も五年来の負担まけで、内面の疲労――精神生活の放棄――は著しく、それだけが理由でなかなか本質的には大した落しものをしつつころがって行く日常です。幸、咲枝はああいう気質だから、よほどましですが。尖らず、鈍る形で現れるのですが。こういう子をもつ親は誇張でなく試練的ね。特に母が、ね。同情をいたします。しかし私は、やはりこういう子供が母をくい、兄弟の生活から奪い、一家から奪うものの大さと深さとを感じ、可哀そうで又恐しさを切実に感じます。しかしこの怖しさを母は見ないようです。不具の子はいじらしいが、対策もあり、生活の目標も立てられます。泰子は真空ですからね。吸収してしまうだけ。辛労も愛も。
 現在三千軒ある出版業が、略《ほぼ》二百軒に整備される由です。文学、科学の各分科をみんな其々にふりわけて、専門出版店となるらしい話でもあります。文学書は『新潮』などのこるでしょう。『新潮』の出版部。
 関係あるところではそろそろ大童らしい風です。出版外交史というような小冊子も資料は十分ということになるでしょう。出版年表などという単純なものでもないでしょう。
 私の燐の注射はもうすこしで十本終りますが、二十本を一クルスとする由。そして何ヵ月か休んで又いたします。静脈は、やはり気重いのよ。小児科の林先生は上手だし、神経質でないし、音楽がすきだったりしていい人ですが。静脈が細くて工合わるいのは、私の弱点で、いたしかたもない次第。
 風邪をおひきにならないように、どうぞね。

 九月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月二十五日
 きょうは七十度よ。涼しくて体が楽なので、二階の部屋の大掃除をして働きました。ごみになった顔を洗ったところへお医者が見え、静脈を出したら、働いたばっかりだったのでふくれて見やすくて、痛くなく助かりました。
 九月二十三日は、やがて『週報』で御覧になりましょうが、日本の国民が初めて経験するような生活の大切りかえの方針が公表され、昭和文化史の上に一つの記念すべき日となりました。学校は理工系統をのこして、法文科は殆ど廃止、廃校になります。音楽美術文科は伝統を今日までで一応うち切りとするわけです。
 音楽学校の卒業式がこの三日間つづけてあり、それが東京の上野の音
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