、夜の通りをしみじみ見ましたが、団子坂迄の間に残置燈が一つあるきりよ。
子供たちの百日咳は順にいい方ですが、昔の人が百日、咳が出ると云ってつけた名は実際を語っていて、マダマダ健坊はユデダコのようになって咳きます。泰子は例によりすぐ肺炎の心配で大さわぎのところ、もう疲れてろくに食べず、夜中眠らずで、母さん女中さん大へばり。咲枝は疲労のため胃が変にこわばってきょうは横になって居ります。私の眼は暑さとともに、細かいものが駄目になって居ります。近視の度も進んだらしく近いうち行って見ます。十五年の処方を見たら、七月十七日という日づけ。いつも夏わるくなっていたのですね、この二三年。体がつかれていらっしゃる時はあなたもどうぞ眼をお大切に。視力の弱るのは心持もいやなものよ。
結局どこへも行くさわぎしなくてつくづくようございました。いろいろ。汽車のこと考えただけでも。
国男と太郎は開成山で元気の由です。太郎は、二十日ほど暮して来て、その力で冬風邪もひかず過します。あすこは紫外線の多い高原風の気候ですが、それでも七十二三度の湿度です、珍しいことなのよ。それで雨は降らなくて野菜が心配というのですから、私のようなものによくわけがわかりません。
イリーンの『山と人間』ありました。今にお送りいたしましょう。シートンのあとはいかが? もうブランカのばかさ、いじらしさがわかったから、御用なし?
石鹸のこと御免なさい、そちらで都合つけて頂いたりして。しかし大いに助かります。全くナイものなのよ。只今これと一緒にシーツ、タオル、メタボリンお送りいたします。シーツもシャボンの仲間、ないものの一つです。きれたのを送りかえして下さいまし。ついで私のにして、私のをそちらにまわします。でも今に、浴衣のほぐしたのがシーツになることでしょう。
ああやって天井見て臥ていらして御退屈でしょう。一つ音楽をおきかせいたします。千代紙の中から琴を弾じる唐子《カラコ》一人つかわします。松の樹の下、涼しい石の上で、この男児は琴をならし、その音をもってあなたに一吹きの涼風をお送りするでしょう。(支那の人はこういうときうまい文句を見つけますね。)
八月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(Fishing Village, Paslr Panjang S. S. の写真絵はがき)〕
八月十二日。沛然という勇壮な
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