感じ糸のこぶと話でもするような気になってほどきます。大したこともないナという首の曲げかたで縫った[#「縫った」に傍点]ところ御覧になるときの様子も見えるようですし。
しかし私は良妻ですから、そんな風に只抒情的であるばかりでなく、其にしてもほどけたり、やぶれたりするのはいいお気持でなかろうがと研究もするのよ。この次はどこを特に念を入れ、世間並の縫いかたとちがえた方がよいか、ということなど。大したものでしょう? 一寸ほめてやるねうちもなくはないとお思いになるでしょう。
『インディラへの手紙』第二巻読みはじめました。夏の間に、これと『外交史』ともし出来たら『貿易論』という本よみたいと思います。『インディラへの手紙』は第三巻が九月に出ます。出たらお送りしましょうね、『外交史』第二巻どうぞ下さい。シートンいかがでしょう、二巻以下お送りしましょうか。いくらか鼻につくところもあるから、余り熱中もいたしません。しかしブランカとしてはロボーの堂々ぶりを知っておいて頂く方が話がしやすくて。ですから第一巻は、どうぞどうぞ、というわけだったのです。ブランカはいろいろに唸ったり、いたくなくかみついたり、ロボーの足もとにころがったり、すごすごと尻尾を垂れたりするのですから、ロボーのあの立ち姿は是非おなじみになって頂かなくてはならないものでした。
病気をすると国男さんもいろいろとよみます。シートンを全部病院でよんで、ストレチイの『ヴィクトーリア女皇伝』をすっかりよんで、今ヘディンの『馬仲英の逃亡』をよんでいます。筑摩で『彷徨える湖(ロブ湖)の話』(ヘディン)をくれて、それをかしたら冒頭が馬にヘディンが幽閉されたのが終ったところから始っています(一九三四)。それで、前半にあたるのをかしたわけ。ストレーチイのヴィクトリアは同じ平凡な女性の一生をかき乍らも、時代も人物もちがうせいかツワイクのマリー・アントワネットとは全くちがい、平板です。偉大な時代というのでなく、イギリスの凡俗な興隆とヴィクトリアの凡俗さが、どう一致していたかというところが面白いのでしょうし、文学でいうヴィクトリアン・エージか、テニソンを親方としてアカデミーが下らなくなった意味もうなずけました。ヴィクトリアは全く芸術は分らなかったのよ。アルバートはドイツ出でドイツの君公の文化的伝統で、文芸を庇護してやるということに興味をもっていた
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