につぶせないからしがみつく、そうとばかりでない執着もあるわけです。
 これからもいろいろの場合、あしからず御承知下さい、と手紙の文句なら書くようなことが屡※[#二の字点、1−2−22]あろうと思います。そういう場合、いつもあながち最少抵抗線を辿る心持からだけ出発しているわけでもないということがわかっていただけて、私は一層平静に、従って落付いて考え乍らやってゆけるというわけになり、そのためにすこやかさを喪わないですみ、展望を失わないですみ、重吉の千石船たるを失わない結果になれると信じます。
 私たちの経済のことで、春の終りに長い手紙さしあげたことがありました。あれは全く私に一つの基本的なことを学ばせました。私たちの生活のやりかたについて。あなたが、私の半病人風にせきこんで気を揉んだ処理報告に対して、自然な疑問をはっきり出して下さったので、私はこまかに何年も前のいきさつを思い出し、整理し、そして、自分が、あの頃はあなたの言葉に必要以上おどろいたり怯じたり絶対にうけとったりして、その為に現実のいりくんだ半面だけであなたに対し、あなたと自分とを迷惑させたとよくのみこめました。もう二度とああいうことをくりかえさないようにと思います。お気に入ってもいらなくても在ることは在ることとして、私の考えや、やりかたをあるとおりいつも知っておいて頂くことが何より大切です。ましてこの頃、そしてこれからのような時節には、一見すじの通らないようなあれこれの間をかいくぐり、かいくぐりですから、私はあるとき全く我流の泳ぎかたをして、どの水泳の術にもないバタバタで、渦をのりきりもするでしょうから。クロールでやるものだよと云われ、そうねと云い、しかし手足は妙ちきりんにうごかしてでもやっぱりここへ出たわ、というような可笑しいこともきっとあるでしょう。内在的なものにたよりすぎることは芸術家にとって危険であり発達を阻みますが、自分にそこがどうやったら通りぬけられるという身幅と空間の知覚のかね合いなんかやっぱりかん[#「かん」に傍点]にもよるのでしょう。
 寿江子へのおはがきありがとう。返事を上げなければ、失礼[#「失礼」に傍点]だわねとよろこんで居りました。石ケンのこと、お送りいたします。
 この頃は単衣を灰水であらっている始末です。大した石ケン不足で配給は日常の用に足りません。もしかして島田の方ですこしは何
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