作家だということを昔から知っている人、新潮の「文芸日記」つけはじめたときから私のかいたものや、写真知っている人は、まさか一定の必要から興味もなく書いたものをひっくりかえしたり、うの目たかの目の人より常識に立ってものごとが判断されるのは自然です。自分の生涯というものについても現在いるところよりは少しひろく遠いところに着眼している人は、一つ一つ目の前のものを自分の跳び台にしようとあくせくすることもないようです。
同じ風邪をひくにしても、いやないやなひきかたと少ししのぎ易いという場合もあり。私は疲れは附随的なものでどうしたって何かすれば疲れなければならないのだから、疲れるなら、余り悪質でない疲れかたで経過したい考えです。
誰か行って体の様子その他お話するといいのですがほんとに不便ね、しかし、この頃つづけて書いた手紙は、割合よくそのこともつたえているのではないでしょうか。何時間も自分で話しつづけている必要はなく、比較的あっさり物を云う丈でやって来て居ります、それも疲れをすこし助けます。
暑くなると、やはり間にそちらに行くのは無理ね。そう感じます。一区切りつけて、旅行に出る前に参ります。それが一番いいでしょう。旅行も行ってみたい半分、気億劫半分よ、正直なところ。何しろぽつんと一人だから。おとも[#「おとも」に傍点]の分を負担しにくいから。読みかきが自由でないからなのね、きっと。それにまだ外を散歩するというのも思うにまかせず。開成山は国男さんがすこし迷惑らしいし(今の駐在の人が名うての人で、村でも閉口しているそうで)私もそれでは恐縮ですし。とかく水不足でお湯に入れないのは切ないし。つまるところ上林か、鷹の巣という、頭に特効ありという温泉かどちらかへ行くでしょう。山形県と新潟の境のようなところにある鷹の巣というのは、割合まだ俗化してないらしく、物資は春頃問い合せたときは信州よりましのようでした。上林は鯉があったのに、今それがないのよ。すると全く魚なしです。野菜も豊富でないからそういう点は余りよくないのよ、米も。只こんな丈夫でない人しか思いつかないことがあるのですが、米沢まで直行だと夜寝台とって横になってゆけるのよ。それからのりかえて羽越線で二三時間らしいの。長野までは夜行では半端で、それから電車が二時間余でバスが猛烈なの。(こんなにかいて反りみるに、どうも私は上林は知ったと
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