く小説。それには何かの面白さ、構造、規模があるでしょう、と。なお可笑しいのは、私は詩的な要素をたっぷりもっているが、詩人ではないということなの。だって、段々体が平常に近くなって来たら、御覧のとおり、私は私たち愛唱の詩を散文で話しはじめ、一ころのように眠れない頭にこりかたまった一行一行をおめにかけることはなくなってしまったのですもの。二月下旬「よろこび」と「円き盃」という二つをかいてからは一つもかきません。散文で印象がうつされます。(ここまで書いたら夕飯、そのあとへ久々で目白のお医者が見えました。私のグミ頭や顔がしびれるようなのは、体が或る程度まで癒って来たことによるリアクションの由。生理上の反動は、或る丈夫さがつかなければ生じない由。微妙なものね。実に面白く思いました。だから過労しないようにさえすれば、あれこれの些細な苦情は出たり消えたりする空の雲のとおりで降ったら傘をさそうと思っておく程度でいいらしいのよ。)
 いろいろかきたいことがたまっているから又改めて一つかき、これはこれでおやめにします。「衛生学」は未刊の方が事実のようです。本を買うのは予約になる由です。本屋でカタログを出すのででもありましょう。では又あしたね。久しぶりに湯上りでいい気持。日曜の夜咲、国、子供三人その他二人の一連隊がかえって来て一週間ほどいるそうです。

 六月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 六月九日
 きょうはむしあつい膏汗《あぶらあせ》のにじむ日です。こういう日になると苦しかった体を思いおこし閉口です。七十八度ほどです。
 ペンさんはかつらの島田をのっけて、かり着の紋付きをきてお嫁さんになるのだそうです。なかなか大変と同情します、当然そういう恰好をするものとぐるりできめている由。まあ一生にいく度もないのだから、それでケンカしてもいられないわけでしょう。旦那さんになる人は、何しろ福島市というようなところの日銀支店づめであったし、通俗的ととのった方らしいから、若手名士で、田舎で名士になったとき、必ずつきもののおきまり宴会で、あながち潔癖というのでもないのでしょう、おかみさんとのことだって大して、不動の選択というのでもなかったらしいから。別の友人に、結婚したものかどうかと、もうきまった筈のとき相談したと云って大分ヒンシュクを受けているらしいようですし。
 女の人の側とし
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