紙を書いてもらう時の私の待遇はたいしたもので、二階の机の横に行火《あんか》を造り灰皿を揃え、くしゃみをすれば大事な胴着を頭からかけてやって、そして一筆願うありさまです。
でもね、この頃は手紙を書くことに就ても呑気に構えてしまったの。あくせくして一通余計に面白くもない手紙を書いてやきもきしてみたところで、私達の生活の本筋に大した関係はないのだし、結果として、あなたが心配して下さることを、無にするようでは意味ないと思ってね。こう心を決めたら気が楽になって、あなたもそれでよしよしと云っていらっしゃるような気がしているけれど、それでいいの?
私はどうかしてこう云う気質に生れていて、御難つづきの人生などを予想しないし、有難いことに、そんな考えを可能にしないような光があるから、その点は大丈夫です。実際問題としては、目下の吾々の生活は銀行相手の赤字生活ですから、今年の末頃にはポチポチ仕事が出来ないと、閉口です。書き始めるに就ては云々、というようなこともきっとあるでしょうし、なかなかすらりとは参りません。ペンさんのことに就ては、スエコから申した通り充分以上のことがしてあります。もう四年ばかり出入りしている子だけれども、この春には結婚するらしく、そしたらあんまりつき合うこともなくなるでしょう。
ロビンソンは漱石が文学論のなかで、十八世紀文学の常識と無風流と、日常性の見本として、何処にも壮美がないと、あの人らしい美学を論じていますが、成る程、仰云るような古くささが、作品の低さの眼目なのね。漱石の型式美のカテゴリイの問題ではなかったのね。面白いことは、漱石が作家的、また人間らしい稟質の高さから、この作品の意に満たないところを直感しながら、その不満の拠りどころを型式美学に持って行ったところが、いかにもあの時代ですね。ロビンソンのことは漱石の文学論を読んだ時、フリイチェの文学史的な解釈と対比して印象深かったので、短いお手紙の文句だったけれども色々考えを動かされました。あとの文学史先生は、ああ云う作品の発生の起源をちゃんと説明はしているけれど、それに対して今日の読者である私達が、つまらないと思う直感の正当さとその理由に就て、触れてゆくだけの力は持っていませんでした。文学に於ても史家は、そう云う静的な立場から、極く少数の傑出した人々が踏み出すばかりなのね。
この間、始めていかにも気持よく
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