い気が致しますね。以前何時か能楽趣味の女が野原に佇む絵を描いて以来、あったら才能がカンバスの上を無駄に流れています。紫の花も白い花もちっ共愛されていませんね。秋声の息子の一穂も親父程の骨組みと角とがなくて、もまれてふにゃふにゃになっているし、芸術家の二代目は恐ろしや、ね。

 (二)[#「(二)」は縦中横]二十三日
 これはこの画家の傑作の一つでしょうね。細部は見えないけれど、何だか気に入って喜こんで眺めます。奥まで本気に描き込んでいて気持がいいこと。この頃これだけ根をつめた絵をみなかったものだから。私には手前の方の子供や花がよく見えないのよ。お金持の友達があって、私がこれだけ気に入っているのを明日あたりふっと買って、かけて眺めるように送ってくれたらさぞ嬉しいでしょうね。ディッケンズの小説は、このさぞいいでしょうというところから出発した空想ね。

 九月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 九月二十五日
 タオル寝巻をやっと出来上らしてもらって、さあ、これで嬉しいと床の上へひろげてたたもうとしたらどうでしょう、私が折角下前へくるようにと思って切った筈のつぎ足
前へ 次へ
全137ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング