行くのに着るものがなくて、あまり困ったのであげて、今でも大事に着ています。私達の通知状を世話やいてくれたし、そんなこんなでまわしたのですが、黙ってそんなことをしていけなかったかしら。夏服も同じ人に使せました。冬服は私のいない時に(九年のはじめ)だまされて誰かにとられてしまいました。四谷に国男さん達が住んでいた頃。こういう風に書いてみると、何んにもなくしたようで厭な気持ね。でも緊急になくて困っていた人があって、いくらでも買えたあの頃の私達の気持では、蔵っておいて虫に喰われるよりは、と思ってのことですからどうぞ悪しからず。
 赤ん坊の名前はまだきまりません。セカンドジョンの話しを聞かせたら誰れも知りませんでした。私は勿論よ。中々しゃれたことを御存じね。お説のとおりですから国男さんが照という字を嫌っているし、また考えなおしてみましょう。
 広島へはすぐ葉書出しました。お母さんはもう行っていらっしゃることでしょう。私にもあのあたりの町の景色がみえるようです。歴史が無限のエネルギーを持っているということは、人間の究極の希望と信頼の土台で、それ故に人は自分の一生というものの価値を外見上の一生の現れ
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