夜着は月曜頃どうやら運べそうです。

 十月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 小磯良平筆「バタビヤにて(人物)」(一)[#「(一)」は縦中横]、宮本三郎筆「印度の女」(二)[#「(二)」は縦中横]、脇田和筆「幼児」(三)[#「(三)」は縦中横]の絵はがき)〕

 十月九日(一)[#「(一)」は縦中横]
 器用な絵だことね。こういう絵をみると環境や歴史性がわからなくて不思議のようですね。描かれている女の人達は、でも皆んな真面目な自分の顔をしていて、それが取り柄です。この画家のジャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の土人の踊りをスケッチしたものは、リズムがあって面白いものだそうですが、生憎そちらは売っていません。ペンさんがこういうものを心掛けてくれるので、私は随分楽しむし、そちらへもお送り出来ます。ペンさん同情して曰く、「代筆の手紙なんて気の毒だ、きっと読んでいるような、いないような気がするだろう」こういうことを言える人なんだからすみに置けません。

 十月九日(二)[#「(二)」は縦中横]
 この前の灰色の角封筒がそちらに無事つきましたか? この頃封筒の大きさが統制されて、十月一日から葉書の大きさがなければいけなかったのだそうです。汽車は石炭を運ぶために客車が減ります。お米は大分増収だそうで玄米食が再考究されています。今日は時雨《しぐ》れた天気で今もうそろそろ雨戸を閉める刻限ですが、五位鷺の鳴きながら飛んでゆく声が聞えます。そちらでも聞えたわね。ジャムの「夜の歌」という散文詩が面白く、カロッサの「詩集」では一つ二つ、大戦後の作品でいいのがありました。御覧になるでしょうか。

 十月九日(三)[#「(三)」は縦中横]
 この頃は理屈ぽく物を考える根気がまだないのと、字が書けないのでかかない文句を長く心に書いたり消したりしているのとで、私もどうやら少し詩人めいてきました。カロッサの詩では「生の頌歌」「避難」「未だ生れない者に」等が立派な格調を持っています。詩の句を書きたいと思ったけれども、それはまあ一寸おやめ。カロッサが心理主義にわずらわされてはいるけれども、大戦の後には初期と大違いな作品を書いていることは注目されます。今日という日をこの詩人はどんなに経験しているでしょう。そしてその経験が一生の内に若しもこの詩のように生かされることが出来たらそれは彼の一つの大きい幸いでしょう。

 十月十三日 [自注3]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕


  祝い日

 愛するものの祝い日に
 妻たるわたしは
 何を贈ろう。

 思えば われらは無一物
 地道に渡世するおおかたの人同然に
 からくりもないすっからかん。
 健康も余り上々ではない。

 とは云うものの
 ここに不思議が幾つかある。
 朝夕の風は
 相当軒端に強く吹いて
 折々|根太《ねだ》をも軋ますばかりだが
 つつましい屋のむねには
 いつからか常磐木《ときわぎ》色の小旗が一つ立っていて
 荒っぽく揉まれながらも
 何やら嬉々と
 季節の太陽に
 へんぽんたるは何故だろう。

 夜が来て
 今は半ば目の見えない妻である私が
 少し疲れを覚え
 部屋の片隅の堅木《かたぎ》の卓の上に
 灯をともす。
 焔は暖く 橙色。
 憩っていると手の中に
 やがて夜毎に新しく
 一茎の薔薇がほころび初《そ》め
 濃き紅《くれない》に ふくいくたるは何故だろう。

 短く長いこの年月に
 私たちの見てきたことはどっさりある。
 歳月の歯車から
 ほき出される あれや
 これや を。

 何と度々
 愛の誓いが反古になるのを
 目撃したろう。
 その醇朴さが
 却って ばつの悪いほど
 辱しめられるのをも眺めて来た。

 けれども
 幼い子供たちが その遊戯の天国で
 ぞっとするほど面白く
 泣き出したいほど うれしいのは
 何の魔力のゆえからか。

 秘密は唯一つ
 それは 幼な児の正直さ。
 遊戯の約束は決して破らない
 それの たまもの。

 単純きわまったこのことに
 妻なるわたしは
 幸福の天啓をよみとる。

 そうだ わたくしも
 約束はやぶるまい 決して。
 互を大切に いとしい者と思いあう
 この おのずからなる約束を。

 今宵も ひとり私は灯のそばに坐り
 ひとしお輝く光の輪につつまれる。
 やがて薔薇も匂いそめ
 単純な希いが
 たかまり
 凝って
 光とともに燃ゆるとき
 愛するひとよ
 御身の命も亦溢れ
 われら鍾愛の花の上へ
 燦然とふり注ごう。

  真白き紙の上に

 真白き紙を くり展《の》べて
 黒い字を書く めずらしさ。


 墨の香は秋の陽にしみ
 一字一字は 活溌な蜻蛉。


 古き東洋の文字たちは
 次から次へと
 ふき込まれ
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