てよろしいのです。
 今日は本当に暑かったこと。九〇度を越しましたろう。今日のように暑いと、あの半ズボンが、またお役に立つわけでしょう。三・四日前は、お送りするのが遅すぎて季節はずれのように、思われましたが。
 私は暑いと一層、目がマクマクして、気持がいやになります。けれども、今日ではもう氷嚢なしに過せますから、御安心下さい。矢張り神経障碍の一種で、時々「マシン」のようにポッとふくれて、痒い処が出来て困りますが、これも、追々「レバア」の利目があらわれれば、なおるものだそうです。
 何しろ、この十年の間には、あれほど心臓を悪くして、やっとなおしたかと思うと、いつかの夏のように、微熱を出したり、目を悪くしたりして、考えてみれば、夏のたびにいくらかずつ健康が低下して来ていた処に、ガッタリと根本から打撃を受けましたから、何やかやと、妙な故障が続発するわけでしょう。気長な養生は只一つの恢復の道です。注射は「B」のほかに「C」も入っているそうです。その他、神経の栄養のために燐剤を飲んでいます。「レバア」は勿論。
 この燐剤は、合っているらしくて、至って抵抗力の無い神経が疲れて、少しいらだって来たような時、スエコに素早く一服盛られて、案外の効果を示します。そう云っても、これは決して、眠り薬では有りませんから、御安心下さい。
 二十六日付のお手紙の中で、東洋経済新報の件は、当時予約を受付けず、毎月買って入れていたので、継続の分は有りません。ベリンスキイは来ていませんでした。お金は月曜にお送りします。
 目の検査のことは、もっと時がたって、体全体の栄養が恢復して、出来るだけ均衡を取戻してからでないと、目だけ切り離してみにくいものなのだそうです。こう云う目の見えなさは、脳の内膜が脳膜炎と同じような状態になって、目のぐるりの神経・血管その他に故障を起させたからだそうで、実際、先月の今頃、夢中だった時には、真赤に充血して、ふくれて飛び出した目をしていたそうです。あの目じゃ、見えっこない、と云う評判で、家の人達は、この頃、兎も角、私が、私の顔になって来た、と云うことを、珍らしそうに感服している有さまです。
 昨日は、一ヵ月目であったので、自然話が出て、知らなかった我が身の上話に幾頁かを付け加えましたが、今の私と、前の私との間に、全く自分の知らなかった何日かがあって、しかもその何日かの間に、夜の目も合わさず私を生かそうと努力しつづけた人々のお蔭で、命が保たれて、今日、自覚した生活へつなぎ続けられていると云うのは、何と不思議な気持がすることでしょう。自分の知らない自分のことが、人から話されることで、初めて自分の生活の物となる、と云うことも何と奇妙でしょう。心理学的に、色々と面白いことがあります。例えば、私が、暑くなると夢中で団扇を使ったと聞いていて、それは団扇を手に持ってはいたのだろうと思っていた処、団扇はとても持つどころか、空手《からて》を団扇を持った形にして、あおいで、時には、ぐるりで皆があおいでいる、その風の動きと合ったリズムで無意識にあおぐ真似をしていたのだそうです。反射神経が、そう云う風に生きつづけ、今のように、精神の作用がある程度まで、戻ると、植物的神経などと云うものが、蒙った損害からいつ迄も恢復出来ないで居ると云うような生理のいきさつは、とても自分でも驚きます。
 昨日、みんなでハァハァと笑ったことですが、あなたは愛妻の身の上にそんなとんでもないことが起ると云う虫の知らせをお感じになりましたか? 昔小さかった時「虫が泣かすんじゃあ」と泣いた人は、成長して、虫は余り敏感に作用しなくなったかどうかと云うことを話して、大笑いしました。私の方はあんまり急で、云ってみれば、虫を派遣する暇が無かったのですからあしからず。お化けになる支度をするひまさえありませんでした。
 二十八日付のお手紙、これは結局、国男さんに読んでもらいましたが、字がいくらか大きかったものだから、何だかよめそうな気がして、おおいに目玉を動かしました。
 宛名を力作と評価して下さったことは、うれしいと思います。全く力作で、当分もうあれはくり返せません。午後中、よく目が見えなくなったから。
 本に就ては、葉書で申上げました。小野寺十内の和歌は初めて知りました。昔の人は、そう云う場合の感情さえ、こう云う一見淡彩な表現の内に、語ったのですね。あなたのお手紙の内に、歌の出た始めてですから、特別な感じです。今日は、もっと歌の話、その他を、どっさりするつもりで、意気込んで机に肘をつき、耳たぼを引っ張って居りましたが、紙は、何とじき一杯になることでしょう。それに、もうスエコがお風呂に入らなければ、何人かが困ると云う場合に立ち至って、残りは、別便になってしまいました。では一と先ず、これで。

 八月三
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