ャンは少し長めの水瓜位の形で、大変に堂々たるものです。スエコはザンバラ髪で、ベートーヴェンが生き変った如き有さまです。あんまり、細い字を書こうとする時は、こちらから見ると、歯の間から少し舌が出そうな風です。ヤス子は、相変らず。国男サンも。今日は、爽かですが、又いくらか暑いからどうぞくれぐれもお大事に。(二)[#「(二)」は縦中横]
八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
あんまり葉書がつづきましたから、今日は手紙に致しましょう。人の気持は面白くて、違った筆で書かれるのを封すると、何だかそぐわない気がして居ましたが、寿江子なら封しても息づまるような想いもしなそうです。今日は日曜で幾分かのんびり。太郎も休みで小鳥を眺めてたんのうしている父さんのそばにくっ付いている様子です。昨夜ねる時、太郎が父さんに「お父ちゃま、いつになったら一緒にねてくれる?」と隣りの部屋で訊いているのを聞いて、大変可愛く思いました。太郎は今、学校が始まったから、下の部屋に小ちゃい叔母ちゃんとねんねで、親達は泰子を連れて、二階へ、別々ですから。私が二階の上り下り出来るのはいつのことでしょう。太郎はそれまで待たなければならないかも知れません。中西さんと云う看護婦さんが居ます。一日の行事は、朝晩体を拭くことや、間でちょいちょい薬を飲むことや、チクリと痛い想いをすることや、スエコに命の親的クダを巻かれること、及び風向きの良い時は、こうやって親切にペン代りになって貰うこと等です。スエコは本を読むのが上手くて、この間うち「シンプル」を読んでもらって居ますが、スエコが読むのと、別の人がよむのとでは、まるきり物が違ったようで、今度初めて、読方の技術の大切さを痛感しています。あなたは、読むことがお上手かしら? 上手な人は、自分を読んでいる文章の内へ決してまぎれ込ませないで、よんでいる物を独立してくっきりと浮き立たせます。(このウキタタセます、と云うようなのは、云うのにだいぶ口元が骨が折れます。何しろスエコに「この狸」と云ったら「タルキ」にきこえたそうで以来、「何だタルキのくせに」と云う流行《はや》り言葉が出来ている次第です。私がいくらかすらりとして、床の上に坐って、ロレツの怪しいタンカを切って、チラチラして物も見えない二つの目を、いやに大きく見える眼鏡の内から光らかしている姿を御想像下さい。大変見馴れないでしょう。自分にも良くなれる事の出来ない自分です。)
下手な読手は、変にぼってりとした自分の肉付けを文章のまわりにくっつけるので、意味が解りにくいばかりか、文章の味などと云うものが全く消えます。もし長く見えないと、私にとって読手と云う者が書手同様必要ですが(スエコ曰く「オオコワイ」)その人の選択と云うものは、性質の良さの他に、そう云う特別な要求点があるわけですから、なかなか見付けるのに困難しましょう。口述の簡単なのでも人の性質によっては、抵抗があってやりにくいものです。何しろ、そうそうスエコを乱用も出来ませんから。既に御らんの通り、オオコワイと云われてみればね。
「インディラへの手紙」の著者は、また現代史を書きつづけるような生活ぶりらしい様子ですが、彼の国の今日の歴史は実に紛糾していて、沢山の犠牲が行われている模様です。なかなか現代史のページは、立体的ですから。過去の歴史のどの時代にも無い内容です。
「シンプル」は、十九世紀始めのイギリス海軍が、どんなに野蛮で粗野な一面を持っていたか、フランスと対抗していたこの時代に、イギリスの軍艦の水夫が、どんな動物的な狩り立てで、強制的に強奪されたかが割合正しい率直さで語られているし、そう云う背景で理解する人には、興味がありますが、さもないといかにも十九世紀の始めらしい流れののろい描写で、退屈するようです。家の先生も上手な読手に拘わらず、むしろペン代用となる方をより興味あることとする傾向があります。(私にはよく見えないけれど、字がだんだん速記的になって来たそうですが、本当?)外交的ヒントと云うものはこう云う形で与えられ、決していきなり「もう手がだるい」とは云わないものと見えますね。(これは内緒話ですが、私はいつか、目をしかと見開いて、何枚書いても速記的にはならない字で、スエコがこっそりのたくらしている現場をつき止めたいものだと思います。)
ロマン・ロランの「魅せられた魂」は完訳され、一巻と四巻と云う風にとびとびに読みましたが、「ジャン・クリストフ」はお読みになったでしょう? あれとくらべてこのアンネットと云う女主人公をもった長篇は、女である私達には、非常に興味深い観察が促されて、ずっと読んだらば、さぞ面白い感想がまとまるだろうと思います。生活に一貫した自立性を求めて行くアンネットの理性と情緒的な物との見
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