南江堂はそちらへ直かに送ります。
 世界地図のことは遅れていますが、この頃は内地ののみならず学校なりなんなりの証明がなければ買えないことになっているらしくて珍らしいことです。何とかして買う様にしましょう。尚また手間取りますが、(新しいのが間に合わないこともあるでしょう)紙屋の松屋の表に紙がぶら下っていて、「大学ノートをお買いの方は制服制帽でお出で下さい」とあるそうです。こんな風景は私にとっても未知です。「美しき青春」は神田の方を調べます。(何んで早く調べないんだろう、と思っていらっしゃるでしょうね、いやんなっちゃうなあ、とペンさんの歎息)本当にさあ、と言いながらペンさんはさかんにアゴをつまみます。寿江子は今鹿沢にいます。浅間の景色は美しいそうですが、この間鬼気が迫るような手紙を寄越して、私は吃驚して小包をこしらえてちょいちょいしたものを送りました。晩年の母の厭世的な、人の善意をそのままに受けられない心理が、寿江子に現われていて、体の悪さが推察されます。困ったものですが、まあ、あちらにタンノウするだけいて、少しは恢復してもらうしかありません。インシュリンもないのだし。ああいう病気は本当に哀れです。親が無責任だなどと書いてきていました。自分を生んだということについてよ。心持がああいう状態だとそういう消極な考え方にきっと陥るのです。富雄さんには小包を送りました。うちの廊下の衣紋竿には国男さんの冬のトンビがかかっていて、いつの夜中にでもそれ! と言って出掛けられるようにしてありますが、赤ちゃんは悠々としています。お乳は出そうです。どんな骨折りをしても、今年はお乳がなければなりません。母子の為に。
 ヴォラールの「セザンヌ伝」を読んでもらっていると、一八九二、三年頃「落選画家の展覧会」を開いた後でも、セザンヌがどんな扱いを受けていたか、ということがわかって驚かれます。絵具商のタンギイ爺さんというのがセザンヌ一派を熱愛して、たまにセザンヌの絵を求めてくる人があると、画室へ自分が案内して選ばせたのだそうですが、その画室には、一枚のキャンバスに小さいモティブの絵がいくつか別々に描かれていて、貧しい愛好家は一ルイ位出して林檎《りんご》三つを買ってくる、というような風だったそうです。タンギイ爺さんが鋏を持って行くのよ。そしてそれだけ切ってくれるのですって。そういう風な売手と買手のいきさ
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