をはらず、郵便局へもってゆくのですって。それからどういう手順があるのでしょうか。エハガキも二重封筒もいけなくなるのだそうです。
 国内はいいのよ。
 只今のところ、演習まだ大したことなし。八百やが来て夕方から空襲があります由。今年は、警防団その他はなかなか具体的にやっている様子ですが、町内は割合気がしずかですね。これは面白い心理だと思います。もうお祭りさわぎとして、世話やきずきの小母さんの活躍舞台より以上の実感があって、却ってワイワイしなくなっているというところもあるのでしょう。
 林町の裏から動坂のひろい通りへ出る迄の一帯は本郷区内の危険地区の一つですって。何しろ、あの裏通りは御存じのとおりですから手押ポンプしか入らないからだそうです。従って、うちも裏から火が出て、冬のことではあり北西の風でもあれば、ことは到って簡単というわけでしょう。そういうときになれば、私は体と手帖とエンピツと封緘さえあればいいと思って居ります。
 では火曜日にね。眼をお大事に。泉子からよろしく。

 ね、ふっと原さんが泉子という名だったと思いました。原さんかんちがいしたら可笑しいわ、ねえ。イヅミ子に可哀そうだし、ね。

 十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(青木達彌筆「薄」の絵はがき)〕

 きょうは(一日)天気がはっきりしないので国府津で一年も閉めこまれたままの布団を干せそうもなくて大弱りよ。それでも出かけるのでしょう。出かけてしまえば又それで気がかわるのでしょうが。
 眼の本いかがなりましたか?
 この間本やで計らずオーエンの『自叙伝』というものを見つけました。珍しいと思いましたが、知っている人にとっては格別興味も少い本なのかしら? あなたはいかが? ノートや本やをもって出かけるのよ。それからお米も。タクアンも。

 十一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 神奈川県国府津前羽村前川より(封書)〕

 十一月三日
 今度は何しろ同勢が同勢なので、おっかさん役おかみさん役兼任のため、なかなか忙しい思いをしました。
 一日の午後、太郎が学校をひけてかえって来るとすぐ出かけ一時四十分の小田原ゆきをめがけて東京駅へ行ったところ、列がずーっとむこうの端れで、最後尾の車に、しかも立ちづめで二の宮迄よ。どこかの中学生の練成道場行がのっていて、お米を忘れたとさわいでいる四年生もあり、という工合。太郎だけよそのひとのわきにわり込ませて貰ってリュックをやっとおろして、小さい三角型の顔してのっているの。太郎は人ごみだの何だのの中だとそれは情けない情けない顔して、あっこおばちゃんを歯痒ゆがらせます。ヤアこんでるんだなアというような、からっとしたところなくてね。いとど物哀れに小さくなるのよ。私はそういうのは無視なの。いたわったりしないの。
 さて、国府津へついたら、バスがこの頃はダイヤめちゃめちゃで一時間、あの朝日という店で待ち合わせ。駅前のあのテーブルなんか並んでいた店覚えていらっしゃるでしょう? もうあんなことはしていないのよ、店はしまって、ちょいと梅干が並んでいるだけよ。
 私は重いスーツケースを下げて太郎に片手つかまられて辿りついた時は吻っとして、でも、いい心持でした。
 八時頃国男来。二日は太郎がはりきりで砂遊びにおやじさんをさそい出し、私はエプロンで片づけもの。
 午後一休みして太郎を見たら、一人でぽつねんと芝の枯れたのを植木屋が焚火している、それをつっついています。可哀そうになって、駅で買った柿の袋下げて、ナイフもって、ミカン畑の間を歩きながらその柿をむいてたべさせてやりました。ミカンが黄色くなりかけで空は青々。白い蝶が二つ高く低くとび交っていて大変新鮮でした。狭いミカン畑の間の草道を日やけ色した手足を出した太郎が短い青いパンツで汽車を見ようとかけてゆくのも面白い眺めでした。
 太郎は七時半ごろ、寿江子が駅まで来てつれてかえりました。明治節のお式に出なくてはいけないから。
 あの仕事てつだって貰っている絵の娘さんがきのう午後から来て、昨夜は珍しい、国、そのひと、私、女中さんという顔ぶれでした。
 本をもって来たのによむどころかという有様よ。炭がない。野菜がない。海は朝も夜も目の前にとどろいているのにお魚はなしよ。大したものでしょう? お魚と云えば、この間うち市中に余りお魚がないので困りはてたとき、新しい首相は早朝騎馬で市場へ行かれました。魚がないじゃないか。ガソリンがないもんですから。ナニ、ガソリン? 早くおきて働けばいいんじゃ、と云われた由、そしてあんちゃん連の万歳におくられて馬蹄の音勇ましく朝の遠征を終えられた由です。こっちではそういう勇ましい光景もなくて魚はないのね。
 すべて御持参で来れば、今頃から冬にかけては、いい心持だと思います。久しぶりでのんきな気分で空気のよさ感じます。あしたおめにかかると、日にやけたのが目につくのではないかしら。
 きょうはゆっくり眠って、午後は三時間ほど裏の山の方と海辺とをぶらつきました。裏の山の南に向った日だまりには、きれいな薄紫の野菊や、しぶくてしゃれた赤の赤まんまの花や何というのか可愛い赤い筒形の花やらが咲いていて、なかなかたのしいぶらぶら歩きでした。すぐ下に二本線路があって、それが東海道本線なんですもの。全く不思議のようです。こんなに細い、たった往復一本ずつの線路が、日本の交通の幹線だというのだから。でも土台線路というものはじっと見ていると一種の感じのあるものね。小川未明ではないけれど。浦塩へ出るまでのあの茫大な山や原の雪のつもった間に、たった二条ある線路の感じを思い出したりしました。
 今は、玉ネギをどこかで売ってはいないかと近くの店へ行ったら、そこはこの土地の旧家なのね、木炭、米の配給店をやっていて、中学だか実業学校だかの制服をつけた男の子が何人も、若い女が何人も、おっかさんが出て応待するのを見ています。こういう土地でのこういう古い店の人たちは、又浜辺の漁師とはちがって、圧しがあるものねえ。
 さっき海辺であっちこちさがしたのだけれど、あの短い草の生えていた砂丘ね、あれはもうなくなっているわ、いつの間にか。それからうちの前の松の生えていた崖ね、つかまって私がやっとかけのぼった、あれは道路拡張ですっかりなくなって、平ったい到ってわけのわかり切った大通りとなって居ります。
 それでも今度来て思うのですが、ほんとにリュックでももって三日ぐらい、休んでのびるために、もうすこしここも使っていいと思うの。
 寿江子がもっとちょくな人だといいのにね、毎日曜にどうせ平塚まで来るのですから、私は土曜からいて、日曜月曜ととまって二人で何かやってかえれるといいのだけれど。
 こんなこと考えながら、これでおそらくもう今年は来ないでしょうね、来年になって来ればいい方ね。
 又明日からは机へへばりつきです。休んだ元気で又せっせとやりましょう。
 あなたの眼いかが? 本はいかがでしょう? 晴天つづきだったから、そちらも暖かかったでしょうと思います。こっちでは足袋なしよ。
 こういう風にしていたりすると、一日のうち何度かふっふっと私のすきな組み合わせでの暮しを思います。そして、こんな風に思うのよ。よく一生懸命に仕事をしていい勉強をしておいて、そういう折は御褒美に、暫くは仕事のことなんかポイ御免蒙って、おそるべき牝鶏かみさんになって見たいものだと。クウコッコッコ、クウコッコッコとね。なんにもほかのことなんか考えたくないわ。それで御異存もなしという位に日頃からの心がけ専一に仕事をして置こうというのだからすごいでしょう? 太郎はこういう形容はごく感性的に、日本のゴと柔らかく発音しないで、su goi da ro と goi にはっきりアクセントつけていうのよ。
 戸塚のおばあさんのお見舞に行ったらばね、おばあさんの方は、小さい溢血だったそうで舌ももつれず、手足もしびれず、ちょこなんと床の上に坐っていて、旦那さんが肺炎のなりかけで熱出して、胸ひやしてフーフー云って臥て居りました。あっちの細君は四国巡回の講演です、銃後奉公の。では明日ね。

 十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月六日  第四十八信
 国府津のには番号がぬけましたが四七に当るわけね。
 さて、いかが? 十月は仕事の仕度をしなくちゃならないと思って気を張って、いくらか手紙御無沙汰になってしまいました。
 かえって来てみると、国府津では今度本当に休んで来たことを感じます。丁度いろいろと疲れが出る頃、足かけ四日バタバタしながらものんびりして、頭のなかがすっかり静かになって、きめのこまかい感じにしっとりして大変いい心持よ。こちらへ住むようになってから二ヵ月経って段々落付き、家族のもののいる中での日々が、やはり一人きりで二六時中気をはっている生活と、どこかで非常にちがって、少くとも今の自分には薬になっていることも感じはじめました。
 あなたはそういうこと予想していらした?
 こうしてみると、一人で女中さん対手の生活というものは、自分ではのんきにやっていたつもりで、実は輪廓をくっきりと一人で始末したところがあって、ぼーっとしたところがなかったと思います。これが又先でどう変化してゆくかは分らないけれども、少くとも当分、こうやって、うちのものがごたごたしてやってゆくのよかったと思います。
 ですから思ったよりよかったということになるのよ、どうぞ御安心下さい。勉強するために一日中部屋にいて苦情が出るわけではなし、お喋りの中に入ったからと云って苦情が出るわけではなし。いずれにしろ私が今はここでよかったと思って暮せていることはお互の仕合わせね。あなたにしろ、すぐ通じるからユリが工合のわるい巣箱で絶えずパタパタやっていたら、やっぱりお落付きなさらないでしょう? そのことではびっくりしたことがあるのよ。九月頃引越しのことで私がちっともおちつかずせかついていたとき、そちらも何となしそういう空気で、生活の流れの生々しさを深く感じたことでした。私はよく生活しなければいけないのだ、と改めて思いもしたのよ。
 生活って面白い生きたものねえ。そういう流れのまざまざさでは、私たちに距離がないようなところ。
『婦人公論』で、「我が師我が友」というのをずっと出していて、阿部次郎だのいろんな人がかいているの。正月私のをためしにのせてみるのですって。これから二十枚ほどかいてみます。何かあのひとたちの間では目算があるのでしょう。私は自然に書けるものを真面目に書いてみて、それでのせられればよしと思う程度の心持で考えて居ります。
 きょうは三笠へ電話かけて、教えて下すった本をきいて見ましょう。
 きのう春江という咲枝の姉さんが一寸来て、面白い話をして行ったわ、そこのうちのおかあさんは七十歳でおじいさんは八十です。七十のおばあさんは勝気な江戸っ子で多勢の子供や孫を育て、大きい家をとりまわしてこれまで暮して来て、数年前突然喀血しました。肺の故障ですって。それでもいいあんばいに大したことなくて、東京のうちに暮し、八十のおじいさんは茅ヶ崎とかに下の弟の夫妻といるの。おじいさんは謡をやり、和歌をよみ、古今の歌をよむのですって。すると、おばあさんがふっと本をよみはじめて、古典をずっとさかのぼって、この頃は万葉に熱心で、看護婦対手にわからない字があると字引きひっぱってなかなか本を集めて一日あきずにやっているのだって。そして、ぽつぽつは自分もつくるのだけれど、おばあさんのは万葉調なのよ。古今は本流でないというのですって。おじいさんは古今で「ふやけたチューブみたいに」だらだらぬるぬると多作するのだけれど、おばあさんの方は「なかなか出ない方でね」ですって。茅ヶ崎と根岸とで歌のやりとりをして、この頃はいくらかずつおじいさんに万葉風をしこんでいるのですって。左千夫がおばあさんのお気に入りだって。いい歌があると、丹念にしおりして春江のところへよこして、あとで、どうだったい? ときくのですって。おばあさんは「おかずの
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