本の一般では、そういう女のひとが一定の資力をもっているということは極くまれです。大抵親のところへまとまって暮します。さもない人は、条件の切迫しているのを、いくらかましにしたいという計画しかもたないでしょう。私は、いろいろおちついて考えて、この前と全体の条件のちがうことをよく計量して、感情的に処さない決心です。ですから、この前は売り払うものを払って、通りぬけたのですが、これからはそれはききませんから、この前の前の手紙に書いた最低の安定力学は重大です。いろいろ計算すると、家を半分ずつにして使うにしろ、まとめてお送りしている位はミニマムね。それに六倍したものもミニマムです。それだけが流れ入る河筋について研究をこらす必要があります。本の平均の印税として換算すると、(『明日へ』を例としてみると)一万部以上の必要があり、初版一千部が実施されれば十冊の本となります、再版可能のものとして三冊ね。それぞれトピックをとらえそれぞれに塩梅し、年三冊の可能はたやすく見出せないのが実際だろうと思います、「天の夕顔」の作者がプロンプタアです。そして、河上徹太郎、中島健蔵という人たちが、本で苦労をする必要のある世の中ということを考えて御覧下さい。三冊の可能の少さもわかります。私のプーパタパタで、今|の《ある》用意の継続が保たれれば寧ろ上乗と思うべきだと考えます。そして、それだけは是非やりたいと思います。そして、自分の勉強をやりたいと思うの。この計画はなかなか大変でね、だからその面からは林町のことも考えるし、あなたのおっしゃるのもわかるし、いたします。でもそれには何と心の抵抗がきついでしょう! 何だかまったく折れにくい、そして折れているのが自然でもない若い竹を力ずくでねじ伏せるようなところがあってね。自分の心でも、ふっと気がついて見ると、イヤあ、とそりくりかえっているのよ。無理もないことですが。どんなにそれを云いなだめて、すかせるかというようなところですね。その上、前の手紙で云ったような位置に在るのですし、ね。唸ってしまうわ。せめて、もうすこしあたり前のところに在ればいいのに。ハイ出ました。ハイ入りましたよ。まあ。でもね、もう一つ大局から見ると、そんなことにも平気になっている方がいいのかもしれません。あなたにじぶくっているようで相すみませんが。
 とにかく眼目は、私が車軸が曲って減った小車にならないようにすること、まとまった勉強が出来るようにすること、そして小さな貯水池が乾上らないようにすること。です。家の半分は実現しにくいのね。きっとうまくゆかないでしょう、笑い草ですが、折角考えついたおじいさんおばあさんにしろ、その息子さんのこと思えば、何だかすこしつっかえるでしょう? 大体余り無理はしないことですね。全体無理だらけなんだから、そこへの無理は二倍になってかかるから。まアこんな風にああ考え、こう考え、秋のヴォルガの川船みたいに、うねくね航行して、林町の二階へ辿りつくのでしょう。私は変にカチカチにがんばって、顔が赤茶色に光るような女になりたくないのよ。そうなっていしまえば私たちの生涯の善意が全部裏でばかり現れたことになって、そんなくちおしいことは自分に許せません。あなただってそうお思いになるわねえ。眼の吊ったユリなんて、余りぞっとなさらないでしょう。
 それにしても、いつも精一杯に暮すということは何といいでしょう。沁々そう思います。精一杯に暮すために、ついいろいろのこともあるが、勉学のやりかたにしろ、やはり段々つかむところがあって。
 この前職業につけたひとも今はむずかしいでしょう。映画でもなかなか返事して来ない由。ねえ。
 四月一日から、バス、市電、ラッシュの時間に急行になります、お米も切符になります。一人一日私たちの職業で二合五勺です。子供は年で区切られていますが、なかなかたべるから(大人よりも)大変でしょう。ジャガイモ、甘藷、パンなかなかないので閉口。うちは一人二合五勺だとどうやらやって行けましょう、一度すっかりはかって見てたかなくては。お客をするということもなかなか出来ません。昔のようにみんな持ちよりしてくれなくては。何でも現金が主になって来ていて、勤人は誰も苦しいでしょう。炭の配給、そら金。米、そら金。八百屋、ソラですから。一般的に貧乏しているのだが、現金のないところの窮迫はさぞひどいでしょう。どこのうちも百円でやっていたところが倍ですね。あっちこっちきいてみると大体そうね。卯女のところもそうよ。行一郎のところもそうよ。大したものでしょう?
 私はあなたの冬のための襦袢だとか、衣類だとか、少し心がけてあったからその点全くほくほくです。それだけは心安らかというのはありがたいわ。これからのプーパタに加ったらそれこそですから。
 いろんな世帯じみた話。でもこの頃はいろんなインチキ会社が出来てね、とんだ会社員でくみ立てられた会社が、一流会社のようにひとをだましているらしいようです。空巣も大ばやりです、花見にかけてだから。そしてこれは実に面白い、質札買います、という広告が新聞に出ます。もとはなかった広告でしょう? そんな会社にしろ、世間の必然でだぶついて来ているものを吸収して、どしどし破産させてゆく力は旺盛です。そう云えば文芸春秋でよこした国債が大当りでもすればいいのにね。
 太郎、あのお手紙に返事かいたかしら。きょうはおなかをこわして臥ているそうです。あのお手紙に、熱のない風邪のことかかれていて、本当に、と思いました。さっきの肝臓病のこと、肝のあるおかげで肝をつぶすというようなこともあるけれど、こればかりはとれなくてね、盲腸のようには。今夜は大層早寝いたします、何だかくたびれがあるの、くたびれが出ていると分るときは、すこし正気に立ち戻ったわけなのでしょう。土曜日ほんとに御免なさい、考えれば考えるほど、すまなかったと思います。

 三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月三十日  第十七信
 覚えていらっしゃるかどうか、目白の方から上り屋敷の駅へぬける通りに大野屋という米屋があって、そこはこの辺の大地主の一家のやっている米やで、大変いばった米やなの。そこが配給所になったらいやだナと思っていたら、きのうかえりに通ったら大きい白い紙に謹告として、発展的閉店の余儀なきに至りとありました。うちの配給米屋は目白の消防署の裏です。一週間ごとに配給して来るそうです。一日二人で五合の割で、滞在客は十五日以上、もらえる由。冠婚葬祭には特配なしのよし。三度外食のひとも働きによって食糧がちがって切符制です。甲乙丙とあります。その点どこも同じになりましたね。何号の御飯という点で。
 この大野や米やは大した金持故、きっと儲けがなくて人をつかうような方法をとるより一組合員となる方を選び、組合員と云っても、達ちゃんの自動車の組で、いろいろの事情が内にあるわけでしょう。でも、やはり一つの風景ではあります。
 お手紙の店の消長のこと、私にはよく判っているつもりよ。本当によくわかっているつもりです。私が頭でだけわかって胸はバタバタしているというのでなくわかっていることは、いろいろの調子で十分おわかりでしょうと思って居ります。ですから、心理的に前のときとは大ちがいです。先のときは同じ状態でつづいている人達の方へとかく目をひかれがちな心理もありましたが、今はもっと自主的よ。自分としてしてゆく勉強も仕事の蓄積もわかっていると感じられます。一つには、不安でより合っても、何一つ互に力がないということがはっきりわかっていることもあり、めいめい自分で方策をたててゆくしかないということもわかっている故でもありますが。その点でもそれだけ移って来ているわけです。いろいろな推移の中にめいめいのうけようというものが又あるのね。そのこともつよくわかります。その性格的なものの中におのずと救いも亦あるのね。悲観といううけかたをしていないこと、おわかりになるでしょう? 私が粘って考えているのは、この前手紙で云っていたでしょう? 一番自分が傷をうけるにいいおしり[#「おしり」に傍点]を見つけるという点です。いずれどこかが無理なのは知れている以上、重点を明らかにして、そのためにはおしり[#「おしり」に傍点]に少しのやけどはしかたもないと思うわけです。益※[#二の字点、1−2−22]芸術家にとって貴重なものとなって来ている時間を一番重点的に充実させてゆくための方法を考えるわけです。

 四月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月二日  第十八信
 三十一日のお手紙けさ。どうもありがとう。いろいろと。
 ダラダラ・ラインというのは真に傑作で、ふき出しました。どんな用事もくいとめるのかもしれないとは、正に驚くべきものねえ。そんな堡塁があるとは知らなかったから、これからは大にそれによって、あらゆる用事をくいとめましょうか(!)でも、あなたも、こういう秀逸をおかきになるから大変大変うれしいわ。ユリのダラダラ・ラインも、あなたのユーモラスな表現を導き出すとは洒落《しゃれ》たものだと思います。
 本のこと、おっしゃるとおりの注意いたしましょう。
 それから家のこと。それも大体きょうでわかったわね。でも私にはまだ心持の抵抗があります。しかし、大局の見とおしから冷静に計量して、あなたのおっしゃる意味で気安くも考えて、きょう云っていたようにはこびましょう。あとへは佐藤さんたちが入るようにたのんで。おばあさんと赤坊とで今は二間でギューギュー故。そうすれば、私は時々来ることも出来るし、いろいろと棲みよいために手入れをしていたことも生きますから。但、まだ交渉はしないからどういうことになるかは分りませんが。
 ほんとに書生並に暮していい私の気持と、いろんな条件がめんどうくさくくっついている現実とのバランスがむずかしくて、やっぱり具体的な可能はそう幾とおりもないのですね。私のいないとき来て、お恭ちゃんにさえあんなことを云うのですもの、名刺があるだろう見せてくれないかという調子ですからね。常識で判断は出来ないわ。家のこと、きまったことにしましょうね。
 私としては、あなたがいろいろと雰囲気的な点を気におかけになって、いつかのように、お嬢さん的逆転というようなこと余り敏感に考えなければならないようではよくないと考えていました。その点にはっきりわかった上でなら気も休まります。でもいろいろの事情って面白いものね。現今の一般的な条件のよくなさが、却って或る意味ではあすこに住める、住んでもまあという条件となって来ているのは実に面白いと思います。だってどこだってお米はないのですもの。菓子はないのですもの。もみくしゃで歩くのですもの。
 私は上にわれらの家を形成します。そこの掃除その他は、すっかり自分でやることにします。このベッドをおき、この机をおき、下の台をおき、例の茶ダンスを置き。柱にはこのボンボン時計をかけましょう。そして、自分の時間割にしたがってやりましょう。こまごましたものに時間をとられない代り一年の大体半分はまとまったものにかけながら、自分の仕事をためてゆきましょう。小説をかきましょう。それから一つの系統だった文芸評論も。(これは、あの婦人作家たちの勉強や十四年間からの収穫ですが、明治以来の作品について創作の方法の推移を辿って見たら、大変興味があろうと思います。開化期の渾沌にある二筋の傾向、福沢なんかの流れと、「安愚楽鍋」(魯文式のと)からずっと。これは大した仕事だけれど、やっぱりなかなか面白そうです。そして、かけ出しに出来る仕事でもないでしょう? いろいろ面白いわきっと、一時期ずつに区切ってしらべて行ったら。外国文学の方法の風土化の面もよく見て行ったら、ね。これは極めて巨大なプランですからぽちりぽちりとやって見ましょう。日本には評論の史的研究は久松潜一氏のものなどなくはないし土方定一がいつか一寸したもの出していたりしましたが、作品についての、そういう具体的な、作家の矛盾にまでふれての方法の研究はまだありま
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