文章で土台の性質について云っているからと云って、それぞれのものの中でオミットして、それを前提のわかり切ったこととして云うことは、やはり一箇の文章としては間違いであるということがわかりました。その課題を、全体として、あの範囲でみているのではないのですから、いかに何でも。文化に冠する固有名詞のこともその通りです。表現の正確さ。このことのうちにどれだけの内容がこめられていることでしょう。そして、狭い作家気質でいう表現の正確さというものが、どんなにその一面に不正確なまま平気でいる悪習をもっているでしょう。表現の正確さ、というようなことに無限の含蓄のあるのは、実に実に面白い。今年はそういう意味で作品も評論も勉強したいと思います。ふっくりとして滋味たっぷりでそして正確でなければなりません。チャイコフスキーのことは、あれだって私のかいた気持は、ゴーゴリが「黄金の仔牛」と発展して来ている、そこにある質の相異のようなものとして、音楽における日本的要素がみられなければなるまいというわけだったのよ。いつも雅楽のメロディーを一寸かりてさしはさんでお座をにごしていてはすまないというわけだったのだけれども。余り間
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