種は東京だけでしょう。文学を勉強してゆく人たちの道というものは近代日本文学史で初めての転換をするわけです。どういう風になるでしょうね。これまでだって、勤めていて、そして傍ら小説をかいていた人がどっさりありました。三十歳前後のひとは殆どみなそうでしたろう。五円十円と出しあって同人雑誌をつくっていたのね。文芸の同人雑誌が、本当に新鮮な文学の土壤ではなくて、文壇の苗畑めいたものであったことは一部の実際ですし、その同人たちが云わば惰力的にくっついていて、そこで枯渇したのも実際です。けれども、そういうところに集っていた表現の欲望は、どこにこれからあらわれるでしょうか。これから文学をやりたい人は、習作時代をどう経てゆくことになるでしょうか。非常に注目されます。
 一ついいことは、実生活と文学とは別なもの式に考えられていたこれまでの伝習が急速に崩れ変ってゆくことでしょう。が、さて、その崩れたあとからどう何が萌え出すでしょうか。私は、そういう端初的な表現の欲望は、文化面へ広汎に散って、あらゆる部面からのルポルタージュとして再生して来るのではないかと思って、興味深甚です。そういう形で旧来の文学は生活の中
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