思って居ります。けさの床の中で暫く目をさましていて、あることを考えました。
この前の前の手紙で、詩集の話が出て、どうしてあの詩人は秋冬を余り季節としてうたっていないのかと思うと云っていたでしょう。考えて見て、一つ一つの詩について見なおすとね、あるものは肌さむい秋だの凩《こがらし》の冬だのが季節としての背景にはあるのだけれど、詩は、いつもそんなつめたさやさむさを忘れて様々の美しさへの没頭でうたわれているのですね。それに気がついて、ほんとにほんとに面白く思いました。生活のあたたかさ、よろこびのぬくもり、そういうものの中で、どの詩も単純な季感からぬけてしまっているのねえ。
実に素晴らしいと思います、だって「月明」にしろ背景は冬よ。けれども、あの詩の情感のどこに寒さが在るでしょう。ほんとに、寒さがどこにあるのでしょう。
それから「草にふして」というのなんか、秋も深くもう冬なのね、季節は。しかし、その草のかんばしさ、顔にふれる心地よさ、そうして小犬がその草原にある※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の若木にまといつき、うれしそうにかみつき、一寸はなれてはまた身をうちつけてゆく様子なん
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