情の方向が変ったというより質が全く変っていて、ひろい内容を感情しているし、さっきの憤りにしろいやさにしろ、それはくっきりと感じられていてしかし作者はその感情で頭を濛々《もうもう》とさせてはいないのね。ここが急所です。十九世紀から二十世紀の三十年迄の文学精神は、云ってみれば濛々とすることそれ自体をよりどころとしていたようだけれど、ちがって来ています。私は父に死なれたとき、すきとおって、明るくて、悲しくて悲しくて、しかも乱れることの出来ない感情を経験しましたが、そういうものがひろがるのね。理解の透明さでしょうか。
 明るさの本来はこういうものであるわけですね。私がいつか手紙に、私は単に快活であったのだろうかと書いたことがあったでしょう? 快活さの上は、そのような明るみに通じる可能をふくみ、底は甘ったれやいい気や軽率さやにも通じるものね。快活が時にやり切れなく単調である所以ね。明るさは光りだからそうではないわ。色を照し出しますもの、ね。人は所謂朗らかではなくて明るくあり得る筈です。そういう明るさ、渋い明るさ。男らしさに通じるもの、それは人間の美しさだから女にも通じているのよ、女がもしもう少し
前へ 次へ
全471ページ中362ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング