まく行けばいいのですが、かなりむずかしいと思います。いかに生くべきか、というようなことをいろいろの角度から扱ってゆくのはやさしいようでそうでもないことね。いろいろのポイントが煙霞のなかにぼやかされるために。
高見順が文学について書いているのに、先ず文学は非力である、非力であるが、獅子と鼠の物語のように、ライオンのとらえられた網をくいやぶるのはネズミであるというような云いかたをしている。そんな工合ね。イソップの出来た時代はどういう時代であったのでしょう。そのものとしての特性を主張する率直な形をとらないで、一先ず非力と云うのは何という現代のひねこびた曲線でしょう。その位一方で強引なものがあるわけです。
日本の芸術家が、年をとるにつれて納るということについて、たとえば石井柏亭のところへ、若い一人の女の子が絵の勉強の相談にゆきました。面白いところのある絵だということは認めました、でも、その子は自分の生活の界隈としてきたない細町を描いているのよ、電信柱のある。そうすると先生は、電信柱というようなものは土台美的なものではないのだから、と。芸術についてのセンスの一致している点又はなれる点、面白い
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