もそう思われます。私たちの生活は、いろいろのものを私たちに味わせていて、これだってその実に正統の愛子なわけだのに、と思って、私の明るさも陽気さの範囲であったかと思ったりいたします。陽気な人っていうのは、私は土台淋しいのきらいさ、と口やかましく賑やかに暮して、それは小説なんか書かない人だわ。こんな話、一寸ちがって風味がなさるでしょう?
あっちのうちで、かんを立てて、我ともなく自己肯定に陥っているよりは、この方が余程人間をましにすると信じます(今のところでは、よ)、細かいことでいろいろの心持を経験して。
きのう、送られて来た同人雑誌を見ていたら、六芸社から出た『文芸評論』の、芸術性の問題にふれているところ、内容とか形式とか二つに分けて芸術的感銘は語れない、その統一がいると云われているところを一つの発展としてとりあげているのをよみました、誰かの文芸評論の中で。
これは私を肯かせるのよ。何故なら、中公の『現代文学論』では六芸社の著者が、そこへともかく線をのばして描き出しているという文学史のステップを一つも見ていませんからね。あれはその点正当に云って落ちている点です、いきなり『芸術論』の著
前へ
次へ
全471ページ中194ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング