の境遇でもそこで人はわるくもなるのです。そして、そのことを、いつも明確に知ってはいないことがある。だから今年は勉強したいというの、お分りでしょう? 去年は相当の量の仕事いたしましたから、いろいろ学ぶところも少くなかったというわけです。しかし、それとは別に又今年は勉強と思うわけは、ね、どの雑誌も頁数を切りちぢめ、たとえば、二十枚とつづけてたのむところが減ります。これ迄の(明日への精神)に集めてあるのは二十枚ぐらいのが多いのよ、ですから相当に腰が入りテーマも本気です。でも今年はそうでないと見とおして居ります。ですからすこし長い腰の入ったものはやはり自分の勉強のつもりでかいて、その上でなら又発表の場面も出来るということになるのでしょう。パンにつられた犬の小走りと書いていらっしゃること、ああいう小間切れ仕事だけになっては大変ですから。それも書く上で、ね。
 お正月にかかなかったものというのは、『文芸』の評論で、この頃小説の明るさというものが求められている、それが教化的に求められていると同時に生活的にも求められていて、その明るさが他愛なさに通じたり好々爺的なものに通じたりしている、それでない小説
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