供がいると。健造ぐらいの子供はナカナカ好敵手です。(この三月にもう六年ヨ、医者になる由です)
それでもお菓子がおありになったの凄いわねえ、こちらは餡の菓子は買えず、よ。ひとが持って来てくれた菓子の正月でした。
作家として、抒情詩は抒情詩としてのリアリティを目ざすところに逞しい面貌があるのだから、というところ、ここは全く真実であって何と面白いでしょう! そうよ。全くそうよ。「朝の風」は私にそのことを教えているのよ。それは創作においての方法にふれて、私にはこういうこととしても云われるのよ、――主観的に作者をつよくとらえている一定の気持の中に入ってしまっているために、それに甘えているために、つきはなして、リアリティをきずきあげる力を発揮し得ていない、と。いつかのお手紙に、抒情性が芸術の迫力を弱めるなら本来の主旨に反するとおっしゃって笑ったことがあったでしょう、それよ、ね。ここいらのところは、実に微妙で、作家は一生のうちに何度かそういうようなモメントを経験するのでしょうね。自分の境遇への感情なんて、何とはっきり作品へそのよさもわるさもあらわすでしょう、だから小説は大したものよ。どんないい筈
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