ですからという意味で返却されました。何でも鎌倉のホテルの何かをかいたと思います。地図はね、行ったら無いというの。だって私がきのう、と談判してやっと出して来ました。無いことになって居りますと云っていました、どういうわけなのか。だから小売屋の小僧が行ったってないわけね。『女性の言葉』と一緒にお送りいたしました。ついでに十六年版の日露年鑑の内容見本も。
 三十日(昨日)はいい天気で、私は朝のうちケーテを(二十二枚)書き終って、『進路』を島田へお送りしたりしてそれから青山へ出かけました。花がどっさりあって、賑やかな様子でした。しかしいつもここへ来てつまらないのは、何しろここは中條家の墓ですからね。戸棚です。ちっとも父のパーソナリティも母の気分もない。ですから来るたびに索然として、来ないでもよかった気になるの。太郎と寿江が来るのを永い間待っていました。しーんと日がよく当って暖いところに花の匂りがかすかに漂っていて、スウィートピイやバラのところに早いこと、もう蜂がかぎつけて来て働いています、それを眺めています。それは何だか父らしい活気とも思える。その勤勉な蜂は。
 やがて二人来て、太郎もおじぎして、そこへ大瀧の基夫妻が来て、つれ立ってかえる(林町)のに、地下鉄で尾張町へ出て、そこからバスで団子坂上まで。長いのよ迚も。私と寿江子の対立するのは、いつも市電を私がいいと云い寿江子はバスがいいということから。バスちっともいいことないわ、第一木炭ガスがどんなに体にわるいか。太郎すっかり眠って大観音のところでおこしました。二重《ふたえ》になっておとなしく腰かけて眠ってしまうの、大変可愛い様子です。
 四月になったらあなたも太郎に短いお手紙下さい、何しろ小学一年生になりますから。あなたが行った小学校は山の上にあって海が見えたと書いてやってね、どんなに珍しく思うでしょう。
 三時から式で神主が来て、それから築地の延寿春という北京料理でお客しました。
 花のこと云っていたのに到頭私は花を買いませんでした。だって、何だか、はいこれはお父様私たちの花よと云っておく場所がないのだもの、心の中にしか。形式充満で。札のついた花なんかいっぱいで。私たち三人のことを考えると、国府津の暖炉の前の夜の光景や林町の食堂のことが浮ぶでしょう? 結局式の日の花なんかいらないと思ってしまうの。私たちや寿江子の記念のしかたは又おのずから別なものでもあるのですし。机の上に美しい一輪の花と写真でもおいて、そらね、見ていらっしゃい、やっぱり私たちよく勉強しているでしょう? そういう方がふさわしいわ、ねえ。その写真もスナップのごく日常的なのがいいわ。すべての親愛さは日常の活動のなかに在ったのだもの、その表現はやっぱり何か日常的な特徴をもっていなくては。来年からは、私たち流のをやりましょう。特別何年祭とかいうのでなければ、それで結構よ。夜だって、父の話なんか一人もしやしない、隣組のことだの配給のことだの。しかしそれは私は面白いと思いました、作家の心として。人間が、どんなに生活の現実の刻々に切実かということが感じられて。
 うどん粉がありませんから、料理でうすいうどんこからこしらえた皮を出すところをパンにしてあったりして。今もしお父様やお母様がいらしたらどんなに困っていらしたかしれないと国男が云い出して、皆笑って、そしてそのパン的御馳走をたべている。一つの光景でしょう?
 きょうはなかなか寒く、いかにも寒中らしい空気です、上り屋敷の駅に立っていたら、秩父連山が青くむこうに見えました。この部屋は殆ど大抵火鉢なしです、日がよくさすから。でもきょうは机の板がつめたく感じられます。手袋ホコホコでよかったこと、あれは傑作のうちね、もうあんな柔かい可愛いのはないわ。大事にして、又来年寒中だけつかいましょう、前後はすこしわるいので辛棒して。きょうは、いかにも寛闊な、インバネスの翼が肩の上にあるような気分です。そうでしょう?

 二月五日ひる 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月二日
 三十日にかいて下すったというお手紙、まだつきません。どうしたのでしょうね。
 きのうは、あれから小川町にまわって高山から本をとって、伊東やへ行って子供たちへのおみやげ買って、それから小田急にのろうとしたらまず栄さんがモックリモックリ段をのぼってゆくのを見つけ、やアとインバネスがふりかえったらそれは繁治さんでした。まアねったよう、というのは、北海道のおっかさんでした。それに豪徳寺でおりたら健造とター坊が、父ちゃん来られないんだってと来ていて、珍しい一隊をなしてくりこみました。
 大きい紅茶の一組になったオママゴトを卯女に買って行ってやったものだから、そのよろこびよう! 康子にはクルクルまわる輪車に、お人形、栄さんは下
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