かしないかというちがい。更にそれが小説として書かれているということと、それが小説としては書かれていない、ということにはもう絶対の相異があります。そのことも。そして、それが書かれていなければ、無いと全く同じだということは、何ということでしょうね。
下巻はもうおよみになったの? もしおよみになったのなら又下さい。この小説はいろいろの面、角度からよめて、その意味からも面白うございますね。
蓼科からエハガキが来ました。家が出来て、見晴しはなかなか立派だそうです。例年の半分ぐらいの人だそうです。保田からもハガキが来て、あちらは落付かないそうです。お魚も(!)野菜も不自由だそうです。きょうは八百屋の問屋に荷が来なかったそうで何にもありません。うちのぬかみそには人参、ジャガイモが入って居ります。生れてはじめてね、ジャガイモのお香物というのは。新聞でよんで御試作です。きのうはそこの門を出たすぐ角の豆腐屋さんで油あげ二枚かって、すこし先の八百屋でミョーガを六つばかり買ってかえりました。そのあたりもこの頃ではきょろついて歩くというわけです。ミョーガの子が三つで六銭ぐらいよ。明日あたり立つので寿江子がきょうよります、せめて甘いもの一つと大さわぎして妙なワッフルまがいを買いました。それにきょうは配給のお米を一回分だけ前の家へわけてあげます。そこは男の子(大きいの)ばかりで細君と若い女中がお米不足で大弱りしていますから。うちはお米はたっぷり前からのくりこしであるの。
今この手紙下の茶の間でかいて居ります、二階はすっかりベッドひっくりかえして布団をほしているの。ですからスダレがおろされないでもう西日が眩しいのよ。目の前にはあなたのセルが風にゆられて鴨居から下って居ります。おあいさんは台所の外の日向でお米をほして虫とりをしています。
ああそう云えば島田からの写真! つきました? 面白いわね、輝、なんてあの顔はおじいさんそっくりでしょう。まあるいおばちゃんの胸のところへちょいと抱かれて、面白いわねえ。あのしっかりさで、たった三ヵ月少しよ。輝はごく生れて間もないときから両手をひらいていて、普通の子のようにきつくにぎりしめていません。これも気の太い証拠よ。あの写真は珍宝の一つです。私の他愛のない口元を見て頂戴。いいわねえ。自分の一番まるくうつる角度なんかてんでわすれて、ホラ輝ちゃんと我を忘れているのだから罪がないと思います。あれも河村さんの息子の写真屋がとったのよ。すらりとした気質の子で、あれはいいかもしれません。この子に高校時代の写真で外国人の先生を中心にしてその左の端の方にいらっしゃる写真をそこだけ焼いて貰うことをたのんであります。それには感じが出ています。そういえばこの間は野原で小学一年のときのを見たこと、手紙に書いたでしょうか。
シャボンを一つお送りしておきます。
きのう一寸お話の出た綿入れは、大島の羽織、着物、茶じまの下へ重ねて着る分。赤っぽい縞の八反のどてら。めいせんのしまの厚いどてらがかえっていて、全部でしょう? これで。
それから銘仙の上下おそろいの袷ね。袷は一そろいしかお送りせず、それはかえって来て居ります。毛糸ジャケツ上下もかえって来ていて目下クリーニング屋です。
さあこれから二階へ行って、パンパンパンパンふとんを叩いてとりこみます。この頃はたのしんで早ねをして居ります。多分そのうちにすっかり好調になりましょう。チェホフは、自分の気持が紙と平らになるという表現で、仕事にうまくはまりこんだ状態を語って居ります。私には何かうまく歯車が合うという感じですが。では火曜日にね。一時ね。
八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
八月二十一日 第三十六信
十六日のお手紙への返事、家については、火曜日に申上げたようにしたいと思います。いろいろとこの数ヵ月自分の気持をこねくっているうちに、段々一つの方向がついて来たようなところもあって、申しあげたように、決心もきまったところがあります。
極めて現実的に、そして歴史というものをすこし先の方から今日へと見てみると、私の存在というものは、こうやって一つの生活を保ってゆくために、どんな苦心をしたかということにかかっているのではないのですものね。どんなに辛苦したにしろ、云ってみればそれはそれだけのことだわ。その辛苦の上に何を成したかがつまるところ存在を語るので、予備的な条件のためにもし全力がつくされてしまうほどであるならそれは熟考をしなければならないというわけでしょう。
あなたが条件がかわって来ていることをおっしゃるのもこの点なのでしょうと思います。私はそれをあっちの道、こっちの道から、自分はどういう風に仕事をしどんな仕事をするべきかと考えて見て、その仕事をするための生活は
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