の祖母は安政の大地震を知っているのよ。祖父は厠にいて内で身じたくをなおし乍ら、母上はどうしたどうしたとよんでいたということです。堀田の殿様が家の下じきになって、何とかして地震の下からほった(掘った、堀田)殿様という落首が出来たりしたそうです。昔の災難は今からきくと何となし単純で、直接法で、それっきりというところがあるわね。もうこれで紙がなくなりました。思っていたよりずっと手紙書いてしまったもんだから(この紙は貴重品故そちらにしかつかわないのよ。こんな細かい字で、こんなにあとからあとからひとりでに書く手紙なんて、ユリの通信範囲には他にありようないわけですから)もうかえらなけりゃね、だから。ここはポストが駅で不便です、何しろ島田の町を縦断する大旅行(!)ですから。
今小ぶりの間にお風呂たきつけに出たら珍しいものを縁の下で見つけました、うちのだったのかしら、茶色のところへ白で宮本酒店と焼いた徳利が一つころがっています、何年ああやってころがっていたのかしら。うちで、油や米のほかに酒があったこともあるのでしょうか。
ベリンスキーの文芸評論、一八四六年にこれだけ「現代」に近づいているということは、いろいろのことを考えさせます。この著者の精神に近づいて来ていてまだその語彙とはなっていなかった幾つかのこと、それによって彼がもう一層現実的に実現を見られるものがあることも興味あります。では、と、一寸くらべて見たい本も出来ますが、ここには何もないし、私の頭の中に本棚、特に年表部は整備されていないから、いろいろ考えながらふろを燃《た》き、一寸座敷へ上ってこれを書き。一人というのは面白いところもありますね、こんな工合で。一層愉しい光景を考えれば、今ここに出ている籐椅子に腰かけている人があってね、こんな話をみんな私が片手に火掻きをもったまま、ぬれた雨上りの庭に立ったまま出来るという場合でしょう。
○お母さんたちやっと達ちゃんに会えておかえりです。よかったこと。手術はごく順調に行って、一週間めですが、もう糸をぬくばかり。二三日うちにはすこし歩いてもいいようになるとのことで、一室に二人、看護婦もよく世話していて、すこしやせたか位の大元気だそうです。初め編成されたとき石津という、この前中隊長だった人が又中隊長で、ああ宮本か、とすぐ万端計らってくれて、すべて大変手まわしよく出来たのだそうです。そのほか、知っている人が何人かあって、便利している由。二度目もわるいことばかりはないものでありますのう、と云っていらっしゃいました。私は日曜日に行って見ます、そしてその上でもし出立の見とおしもないならば(編成が変えられましたから)火曜日ごろ出発しとうございます。
二十四日づけのお手紙(きょう二十六日着)輝のこと、音読してかあさんとおばあちゃんにおきかせしました。本当におじちゃんの輝びいきどうでしょう。
本棚は、小さい本箱が(二本立て)一つあるのよ、古風なの。覚えていらっしゃらないかしら。しかし新しいのは勿論私たちがこしらえましょう、島田市のさしもの屋にでも云いつけてゆきましょう。この間出来合ではなかったのよ、適当のが。高いばかりで。達ちゃん食事等なかなか厳格にやられているらしいから大丈夫でしょう。ところがきをお知らせいたしましょうね。
七月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 己斐より(縮景園浅野泉邸の写真絵はがき)〕
なかなかよく降ります。きょうは珍しい顔ぶれで多賀子と冨美子をつれて達ちゃんに会いに来ました。達ちゃんは却ってこの間うちより神経の休まった顔つきをしていて、盲腸もごく早くとれて、もうすこしは歩けかけて居りました。背中をすっかり拭いてやりました。呉々も御安心下さいとのことです、自分でおっつけ書くでしょうが。今己斐の駅のベンチよ。
七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(広島・紙屋町電車通附近(一)[#「(一)」は縦中横]、大本営(二)[#「(二)」は縦中横]、饒津神社(三)[#「(三)」は縦中横]の写真絵はがき)〕
(一)[#「(一)」は縦中横]七月二十八日、きょうから友ちゃんが三十一日迄広島へ泊って来ます、病院のうちならば会えるというので。きのう三人で広島へ行ったとき、河本という小さな宿屋へ、おむつや着がえのボストンバッグをあずけて来てやりました。お母さん、やはりおつかれが出ましてね、昨日は工合よくない御気分でしたそうです。きょうは私がすっかりしてお母さんは休んで居られ、すっかりようなったと云っていらっしゃいます。二三日は余りお動きにならないようにします。
(二)[#「(二)」は縦中横]七月二十八日。お母さんのお疲れは脚と胃にこたえた風です、きょうは本当に見たところも大丈夫ですから御心配なく。お動きになるのが好きだから。つい
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