空いているところは貸すようにと、婦人会の講演会できのう話した由。その話をしたひとはハワイがえりの女のひとで十五から二十年いて、かえって十年。あっちに娘たちがいて、孫もあっちにいるそうです。いろんなものをことづけて貰います、ハムも、というとき、このひとは日本風に云わず Ham と発音記号のようにヘムときこえるように云いました。微笑禁じ得ず。だってここの家の職業はおいなりさんの神主なんですもの。可笑しいことねえ。ハワイでおいなりさんを信心していたのねえ。職業はこのヘム夫人が理髪をやって御亭主は自動車か何かをやったんですって。第三高女(東京)を出ていることまで僅か五分間の店先のお喋りで話してゆきました。私は誌上[#「誌上」に傍点]でよく知っていたって。
 そのおいなりさんの御託宣で、Tの写真屋に病人が絶えないのは、死霊のたたりだということで、そんな筈はないと云っていたところ、そこのおばあさんが亡くなるとき、自分が若いとき後家で赤坊をもって、それをこっそりうずめてしまったことがあったことや、息子も結婚前そんなような芸当をしたので、大方それでじゃろということを云ったので、おいなりさんにざんげしなくてはならないことになって、それをやって、おまつりをしたのですって。そのおいなりさんの御託宣を、おばあさんがうけて死霊ということをきいて来たというのは十分合点が行くことですね。
 あら、むこうの道を、二人の男が太鼓かついでふれてゆくわ。お母さんが多賀さんのお祭りと思って達ちゃんの写真もっていらしたらそうじゃなくて、ここの夏祭りというのですって。その太鼓ね。おや、赤い旗が行くわ、それから人が行くわ、それから白鳥が小さい神輿《みこし》をかついであとから神主が行くわ、一列になって、あのお医者の石崖の下の道をとおって、提灯がアーチになって下っている下をくぐってこっちの道へ出て来るらしいことよ。こういうの御覧になったわけでしょう? 子供の頃は。
 近衛さん総辞職の号外をもって来たおっさんが帽子とって、こちらも御出征でとあいさつしてゆきました。そして軍手を三つばかりほしいって。
 きょうは今迄のうち一番夏らしい日なのですが、こっちはこんなにしのぎよいのかしら。そうでもないんでしょうねえ。こんなに汗も出ないでどこか涼しい風が通っていて夏がすぎるのなら、私は本当にかえりたくないわ。でも、私が着いて、小一時間もして二階でねているうちに、もう室積からここのとつれ立って、東京からお客さんが見えたそうでって来た由。こういう風なんでね。こちらは。
 お母さんは急に思い立って、三田尻のどこかへ前のおかみさんとお詣りです。たまよけの御守りがあるそうで。それをもらいかたがた。自己慰安ちゅうのじゃろうのあんた、と笑いながら。
 一つ吉報を申しあげます。ここのあの恐るべきノミはどういうものか今年は姿をあらわさず、私の助りかたは一とおりでありません。きっと家じゅう清潔になったからなのね。タバコやと店との間に水色レースのカーテンがひらひらしていたり、店と台所との区別にのれんが下っていたり、あちこち改良よ。向う座の四畳半も南だけ開いて風が台所の方からだけとおるから、いくらか真夏はあついかもしれないが落付いた小じんまりとした部屋になって居ます。きれいに納めたらなかなかいいわ。いまに、こっちの子供たちがふえると、あすこがおばあちゃんのおへやになるのですね。別に建てるよりずっとまとまってようございます。出入りにもいいし。お母さんが本箱のこと云っていらしたの、本当に一つあった方がいいわね。いろいろのものがこの頃はすっかりそろっている、でも本棚は一つもない、そういうのはよくないから。林町と同じことで。目白から送ってくれというお話だったのを、今度そちらへ行ったとき買いましょうと云っていた、今度買おうかしら。友ちゃんの部屋に小机がないのよ。これから丁度こうやって私がちょこちょことあがって来ては書くように、輝が眠るとそのよこでちょこちょこと書きたいでしょうのにね。あのかくれ部屋に机がないのは友ちゃんにゆっくり話しをする世界の中心がないようで可哀そうね。こんな堂々たる一間に一間の大ダンスだの、半畳の畳を立てたようなやぐ箪笥だのあっても、小机がお道具にはついていないのよ。それを私たち買ってあげましょうか、大したものでなくていいのだから、ねえ。いい案でしょう? それとその上に飾る小さな写真たて(これはかえってから送ってあげる)折角優秀花嫁が二三年あとにはBさん同様のものではこまりますからね、ただ目はしの利く利口ものになられてはおそろしいからね。店の机で書くのは出来ないわ、私にさえ。お母さんはお出来になるけれど。息子たちへの手紙だし。今私が使っている二階のこれはおろせないし。本当にそうしよう。室積でも売っている
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