の的興味も肯定しては居りません、それは大丈夫と云ってしまっては又浅くうけ合っているようですが。そういう「深さ」「神経」には私は調和出来ないたちなのだから。ほめて苦笑されるけれど「ロバとキリンの間を往来している存在に対してのみ」は適評ね。
これらのことにつれて沁々と思うことは、武者さんの例にしてもね、私たちは、本当の明るさに到達するだけの努力を怠りがちなように、本当の面白さに到達するだけの精励をなかなかしないのね。「尤も」ということは低いレベルでは常識一般への妥協にすぎないし、それより一寸さきだと道学流ですし、それより先は「哲学的」で、もっと人生の味を求めるものは、それよりもっと高い精神の美に達しなくてはならないけれど、これ迄の文学というものを考えると、尤ものつまらなさにせいぜい「哲学的」レベルで抗しているのね。トルストイ、バルザック、スタンダール。日本の小説はせいぜい「尤も」に抗そうと試みているという工合。文学に新しい面白さがいるのだわ、そしてそれを得ることは大した大したことなのね。これ迄の文学の観念から溢れ溢れなければならないでしょう。しかし果して何人の芸術家が自分の輪廓を自分でのりこすでしょう。
作家の心理(作品のかくれたバネとなっている)というものは、この頃実に微妙になって来ていて、ひねくれているわ。たとえば主人公に老人をもって来る、何となしの流行。『帝大新聞』に感想かきましたけれど。文学が一応常識からは歪んだようなものの正当さ正常さの人間価値を見出して、更にそれより高くなろうとするに多くのものが力及ばないというところには、これはカッコつきでない深刻な課題があるのね。そういうことを考えるときのロバはクサンチッペではないのよ。ああ、でもロバという名をつけたのは誰なの、あなたなの? それとも私?
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[自注6]トラさんの眼――顕治トラホームに似た眼疾を患った。
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七月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月三日 第三十二信
三十日づけのお手紙、きのうの朝。
それから、きのうは電報をありがとう。丁度午後から留守していて、その間に浩子さんが一寸出かけた又そのルスにあれが来たので、浩子さんは、雑司ヶ谷のあの分室まで行ってとって来てくれて、白木屋の角で会ったらすぐわたしてくれました。
浩子さんいいところがあるでしょう? 大変律気でうれしく、何だかおキクさんのよかった面をふっと思い出し、あのひとも北海道だったと思い、何だかいろいろ感じながら、霊岸島の方へ歩いていました。(というのは、きのうは寿江の誕生日で林町一同夕飯をたべたので、浩子さんも一人だし誘ったの)
あれは大助りよ(電報)東京官報ハンバイ所なんて電話がないのね。ああ閉口と、行かなければならないと思っていたからほっといたしました。ありがとうね、よく早く知らして下すって。とにかく着いてようございました。
私の勉学はそろそろとよ。
今も、下ごしらえにアランの本を一寸よんでいたら思わず何か笑い出すところがあって、急にこれを書き出しました。
「礼儀というものは無関心な人たちのためのものであり、機嫌は上機嫌にせよ不機嫌にせよ、愛する人たちのためのものなのである。お互に愛し合うことの影響の一つは、不機嫌が素直に交換されるということである。賢い人はこれを信頼と委任の証拠と見るだろう」
私は思わずクスリとして急にこれを書きたくなったのよ。先日のロバの声思い出して、ね。何となし滑稽でしょう?(アランは勿論、そういう信頼[#「信頼」に傍点]と委任[#「委任」に傍点]が度をこすところに家庭の悪徳を見ているのだけれど。)私は実にあなたを賢い人[#「賢い人」に傍点]として扱っているということになるし、私の信頼と委任とは随分大きいわけねえ。ロバとキリンの間の往復という、天来の珍妙性をもって信頼[#「信頼」に傍点]される良人というものは何たる天下の果報者でしょう(!)
きのうも九十度になりました。私は手が又はれぼったくなりましたから、気をつけてオリザニンのんで、今年の夏は下へおりて、四・半で勉強します。去年の夏は多賀ちゃんがいて、私は二階にいたので眼が変になるようになってしまったから。今年はいろいろ工夫をこらして、うまくやらなければなりません。それに可笑しいのね、私の体は。風の吹きとおすところにいては仕事出来ないし、ひどくつかれるし。せんぷうきの風なんてじかに当るのは全く駄目です、それで二階がたまらなくなるのね、しめますから。むれる一方で。
若い人たちの家、それはいいのがないのも実際です、が、旦那さんの方が、消極的我ままで、きまらないところもあり。私はこういうタイプ迚もやってゆけないと思う。よくあるのね、女にも男にも。
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