っては水のしぶきをあげている様子。ちょいと雀斑《そばかす》のあるような顔をした男の子がかいてあったでしょう、ぷりっとした体で、溌溂として、いい匂いの髪のある。あれもなかなか爽快な作品です。
まだすっかり夏にもならないのに、こんなに夏の詩の物語をしてしまっては早すぎるでしょうか。
でもいいわね、季節のよろこびは、よろこびを期待するそのよろこびの中にもあるのですから。
昨今の世の中はね、五月のへぼ胡瓜《きゅうり》という次第なのよ、野菜を目方で売買して居りますから、お百姓さんの心理として、一本でも重い方がいいでしょう、五月のへぼ胡瓜の由来です。
だから私たちの詩についての話ぐらい、ふさわしいしゅん[#「しゅん」に傍点]であってもいいでしょう。この頃はどこでもちょいちょい畑つくりよ、うちは駄目ですが。まねして紫蘇《しそ》でも生やしましょうか。ではね。
五月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(紀伊田辺・元島遊園地の写真絵はがき)〕
五月三十一日。きのうは畳あげ、今日は古雑誌の大整理、五十貫売りました。五十貫あって十二円五十銭よ。大したものです。すっかりくたびれて、タバコ一服のつもりでこれを。ベッドの裾のところにあなたの羽織をかけてあります。時々そちらをながめます。大島の絣が柔かく華やかに見えるというのは大変面白いことね。こういう風にまじっている光景の珍しさ。ごみだらけの顔で眺めて居ります。
五月三十一日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(紀伊田辺・文里港の写真絵はがき)〕
このエハガキが戸棚から出ました。きっと去年だか戸台さんがお国へかえったそのときのでしょう。あのひともお嫁さんが九分どおり出来たのに、まだきまりません。お母さんが後家さんで決心しないのね、故に、上の息子はいつの間にかおかみさんをもちました。上の姉は、母さん私およめに行くわとふろしき包を一つもってゆきました、妹は戸台さんのところへそうしてはゆかないらしい様子です。
六月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月六日 第二十七信
きょうは、本ものの暴風ね。私は妙なところでこれをかいて居ります、下の茶の間の隅のカリンの机で。二階をふきこむのですっかり雨戸がしまって居て、ランプつけて今頃いやでしょう、ですからここへ来ました。
二日づけと三日づけのお手紙、ありがとう。一どきにつきました。学燈の本のこと。ありがとう。三一年というと、今日にしてみればその頃来るべき新しい時代の女性というものをどう考えていたかというようなことが逆に見られるわけでしょうね。その意味では或は面白いかもしれませんね。本当に十年前。もとより十年の間にも決して古びない婦人観はあり得るけれど、どんな視点でかかれているのでしょう。
文学古典から、ということを、やはり考えます。トルストイはもうつかまえて居るのです、彼の性と女性との見かたについて。あといろいろたぐりよせるのですが、シェクスピアの「オセロ」なんかやはり面白いところがあります。『私たちの生活』の校正がもう出て、ね、大スピードね、百頁以上初校すみました。その間に、あれこれ次のこと考えている次第です。書く以上やっぱり美しい高いところのある本が書きたいことね。本にしろにせものと本ものとの区別出来る感覚をめざませたいことね。人間が発見してゆく智能というものの価値をしっかりとしらしめたいとも思います、プランがむずかしくて。科学の精神というものについてだってやっぱりはっきり書きたいのですもの。
私の手紙へのこと。恐縮|仕《つかまつ》ったというところを読んで、何だかにやりとしてしまいました。即ち幾分ユリはてれたのであります、そして、そこにひろい大きい手のひらを感じ、おめにかかったとき、手紙書いたよと笑っていらしたその空気を感じます。
あなたはおこらず、ともかく私の感じかたをきいて下すって、ありがとう。私にしろ土台から、プランをもって、まわりくどく手法的とは思っていません、そんな風に考える[#「考える」に傍点]ことは、私の自然の感情から不可能なのはあきらかです。でも、このお手紙に「ほとばしり」とあって、私はやっぱり面白いと思いました。ほとばしるものにはほとばしっただけの勢があって、それは流れているものとはちがった顔へあたる感じをもっているわけなのね。ですから、私は何だかキュッと感じて、その感じは苦しくて、ふくれたわけだったと思います。一番私の閉口なところに向ってほとばしったからでしょう、きっと。水鉄砲のように。
三日のお手紙に云われていることは、くりかえし読み、又くりかえし考え、ここには何一つ納得ゆかないものはないと感じます。そのとおりであると思えることしかないわ、どこからどこまで。私だって、用事が用事だけ
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