子が一緒に寝ているので「何だい!」と起きて、上っぱり着てしばらく様子をきき耳たてました。
 稲ちゃん、その息子、娘、午後からずっと遊んでいて、林町が今泥棒にねらわれている話したりしていたので、何者か二階の屋根を辷ったと思ったのよ、その様子でもないからハハア雪がなだれたのだと思って、ぐっすり眠って、けさ下へおりて庭を見たら、妙な木片が散っているの。変でしょう? そこでまだ寿江子のねている部屋の雨戸あけて見たら、南側に葭簀《よしず》の日よけがさしかけてある、その横の棒がくさっていたのが夜来の雪で折れて宙のりとなってしまっていたのでした。早速大工をたのまなければ。この日除けは冬も余り直射する日光よけに大切なの。南に向って平たく浅い六畳ですし、縁側がないからその日よけと、すだれと、レースカーテンとで光りを調節しているわけですから。
 東京って、一月十日ごろよく雪ね。父の亡くなった年も一月十二日ごろ大雪になったわ。私は雪が大好きです。平気でいられないわ、サア降り出したとなると。雪のゆたかさは面白いことねえ。
 さて、二十八日のお手紙を一昨日、六日のを七日頂きました。二十八日のお手紙は年の末にふさわしく「よくも飽かずと思っているくらいなら」という希望が語られていて、私も、リフレインは余りおさせしまいと思います。でも、決しておさせ申しませんなんかとは云わないでおくのよ。何故なら、余りきれいな挨拶をしすぎては、家庭的[#「家庭的」に傍点]でありませんから。ホラ又と云われるのも、云うのもわるくないところもあると思うの、勿論意義を軽く見てのわけではなくよ。更に、そのようにやろうと思わないしというのとは全く反対ですが。私は今年は勉強[#「勉強」に傍点]するのですから。仕事の質を深めてゆくのは勉強以外にナシ。このこといよいよ明白ナリと思っているのだから。ほんとの勉強のない作家はテムペラメントでだけ平たく横に動きがちです。明るさ、について実に深い教訓を与えられましたから。自然の気質の明るさなんか歴史の複雑な襞《ひだ》の前には、わるく行けばその日ぐらしの鼻唄となり、よく行って、せいぜい、落胆しない程度にそのものを保つだけで、決して真の人類史の明るさと一致した明るさは保てないことが実にまざまざとしたから。
 面白いでしょう、歴史の大転換の時代に、多くの人々が却って小市民風に何となし自分一人一人の
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