らどっさりあって、いろいろ芸術上有益なこともかかれています。でもチェホフらしさが溢れていてね、「|わが馬さん《マヤー・ロシャードカ》よ」とかいたりしていますが、ゆうべよみながらおなじ馬ながら、HM《ハイマー》とクニッペルのロシャードカぶりとは何というちがいかとつくづく思いました。それにH・M・Dと頭字だけに表現しているところも、東洋風でしょう。D・LETD・H・Mこんなに重ったのもあります。そして、日本文に直されている文脈は大変欧文に似た感じです。et[#「et」は縦中横]という字もあるところをみると魯迅はフランス語も近かったのでしょうか。親愛が日常のこまかな消息のうちに示されているのも、わかります。月よ花よの佳句もなく、と序文に魯迅がかいていますが、やはりそれ以上の内容と面白さがあります。なかなか大したことも云っています、婦人の文章について。婦人の文章に美辞が多く感歎詞が多いばかりでなく、評論の場合、一々対手の表現を反駁して小毒はある、しかし猛毒はないのが女の文章である、と。なかなかでしょう? 頂門の一針的でしょう? 許さんは文章をいつもみて貰っていて、直して貰っていたのですが、それにつれてのことなのです。
私のさがしていた版画の紹介の文章はどうも見当りません。一つ、これかと思うのがあり。しかしスメドレーはケーテと友達だったのですね。一九三五年頃、上海で出版された画集にアグネスが序文をかいているのね。さぞいい本でしょうね。実にみたいと思いました。どうか私も、一生のうちには、そのひとの画集に心から序文のかきたいような婦人画家にめぐり会いたいものです。
光子さんなんか或るいい素質はあるのですが、旦那さんの技法、傾向と自分のものの成育との間の衝突で、どうにも苦しかったのです。ニューヨークで、どんな気持でどんなに暮しているのでしょうね。メトロポリタン[自注2]で本ものを見ているのはいいけれども。表《ヒョー》の仕事手つだっている娘さんも又それとして珍しい位のひとですが、どの位までやってゆくか、このひとはやはり三十越してからが期待されるような資質です。ゆうべも、これでミューズが揃ったと大笑いしました。とにかく文学・音楽・絵画が一つ火鉢のまわりにあつまるのですもの、こわいでしょう※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
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[自注2]メトロポリタン――ニュー
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