初めて島田へ行って駅に下りたとき、それは一月六日ごろで、かるい粉雪が私の紫のコートにふりかかったのを覚えて居ります。つもりはしなかったわ。それでも炬燵《こたつ》は本式ね。今年は炭がないので、どこでも急に炬燵を切ったりして稲ちゃんのところは信州から一式買って来たそうです。うちはこしらえません。では、又のちほど。

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[自注1]彼のかいているもの――魯迅がケーテ・コルヴィッツの版画を紹介した文章。
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 一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月二十五日  第七信
 こんにちは。きょうは寒い日です。きのう神田へまわったら魯迅全集がなくて、きょう、とりよせておいて貰うことにして、さっきお恭ちゃんがとりにゆきました。六巻で十二円よ。でもケーテのことをかいたり、本が出来たり、二十三日だったりしたことのために買ってもいいと思って。
 魯迅全集は七巻あって、短い感想が非常にどっさりです。なかに、夫人へかいた手紙が集められているのがあります。なかなか辛苦した夫婦でありました。その手紙は、初めの部分はみんな広平兄という宛名です。コーヘイケイとよみたいでしょう。男のようでしょう? ところが女士あてなの。兄という字を自分は友人や後輩などにつけるので、よびずてよりはすこしましという位の意味だからと説明して居ります。許女史は、初め先生とも思うひとに兄とかかれて、びっくりしておどろいたらしいのよ。そしてきっと、どうして私にそんな兄という字がつけられるのでしょう! というようなこと書いてやったらしいのね。そこで魯迅はびっくりしないでよろしい、と説明しているわけです。ずっと後になって、妻になってからのにはH・M・Dという宛名です。このひとは女子大学に働いていてね、そこでなかなかよくやって、一部から害馬《ハイマー》という名をつけられたのです。そこでHMなのですって。Dは何でしょう、英語の出来た人たちですから推察も出来るようです。小鬼はあせったり気をせいたりしてはいけません。というようなこともかかれていて。小鬼とは許さんが自分で呼んだ名なのでしょうね。いろんな感情、わかるでしょう? チェホフが、オリガ・クニッペルに与えた手紙もクニッペルはヤルタにいられなくていつもレーニングラードやモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいたか
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