。それから、ユリがこういうことになると、ややそっぽ向きで素通りで、苦笑だって? そうでした? 御免なさい。そっぽ向いたりしていなかったのよ、ところが年鑑は今ごたごたで、手もとに出せません。すぐ見ないのはわるいわね。ホラ又ダラダララインというところね。でもきょうは御容赦。こんどはっきり間違いを自分でしらべておきますから。
私は、僕等の家としては、というところから目を放さず、無限の想像をよびさまされます。私たちの家として何年間か暮して来た間には、住んでいるところがとりも直さず私たちの家で、想像もリアルなのよ。たとえば二階に一つ机があって、下の四畳半に机がおけて、六畳で御飯たべたりいろいろ出来るという工合に。そういう気持で暮しているのね。今のようになると、何とまざまざと、しかも空想的に、僕等の家というものが考えられるでしょう、そこは明るそうよ。大変居心地よさそうよ。さっぱりと清潔で、生活の弾力とよろこびと労作のつやにかがやいているようよ、何と私たちの家らしい家が思われるでしょう。今は心のどこかに、一つのはっきりしたそういう家が出来ています。その変化に心づいていたところへ、家の話がかかれていて、私の胸の中にある思いは、つよくて切れない絹糸のように、そこのところをキリキリと巻いてしめつけるの。しかも一方に腹立たしいところもあるの。そんなに鮮やかに、私たちの家が、明るくどこかに在る感じがするということが。分るでしょう?
本を焼かないようにということもなかなかのことで、殆ど手の下しようがないことです。今書庫なんて建てようもないし、でも追々うちの建築家と相談して、今ある設備を百パーセントにつかう方法は考えましょう。
引越しのゴタゴタの間、つかれるとちょいとひろげては、モームの「月と六ペンス」ゴーギャンの生活から書いたという小説をよみました。ゴーギャンは、ロンドンの株屋だったのね。それが四十歳を越してから絵をかきたくて家出してしまうのよ。モームという作家は、やはり大戦後の心理派の一人で、そういう欠点や理屈づけや分析やらをもっていますが、イギリスの作家の皮肉というものは、皮肉そのものが中流性に立って居りますね。所謂中流のしきたりに反撥して皮肉になっている、悪魔を肯定し、人間の矛盾を肯定する、そういう工合なのね。モームもその一人です。ゴーギャンに当る人間は、いくらか偶像的に間接にし
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