おくりものを見つけたい思いは切です。でも、いい思いつきがなくて。
 そう云えば、本つきましたろうか。高山のも。高山の表紙もわるくないわ、落付いていて。しかし『第四日曜』と『進路』と並べてみると、さっぱりしすぎのようなところもなくはないでしょう? 検印の判のことちっともおっしゃらないことね。私は一つ一つあれを捺してゆくときそこに声をきくような気持でいるのですけれど。いいでしょう? あれをこしらえたばかりのとき一昨年だったか、手紙の中におしてお目にかけたの、覚えていらっしゃるかしら。この頃は朱肉のいいのがなくなりました。朱もよそから来ていた由。日本画家はキューキューの由です。金箔はもう夙《とう》に日本画の世界から消えて居ります。
 ケーテの伝が昭和二年の『中央美術』に出ていていろいろ面白いと思います。一八六七[#「一八六七」は底本では「一八七六」]年にケエニヒスベルグで生れているのね。祖父さんというひとはドイツの最初の自由宗教的牧師で、お父さんというのは判事試補試験にパスしているのに、そういう立場のためにそれをやめて石屋の親方で暮したのですって。一八八五年というから十九歳位のときベルリンで画を修業しています、コルヴィッツというのは兄さんの友達なのね。この人は医者です。ベルリンの労働地区の月賦診療所をやっていて、そこでケーテは実に生々しい生活の姿、母と子との姿にもふれたわけでした。一九三〇年頃はケーテがそこに住んでいたのですね。六十歳のお祝は盛にやられたらしい様子です。一部の人はこの卓抜な婦人画家を、宗教的画家ときわめつけようとしたらしいこともかかれて居ります、人類愛のね。
 文学の面から多くのものをうけているそうです。一八九七年のハウプトマンの「織匠」の絵で認められたのですって。どんな絵なのでしょうね。見たいこと。私のもっているのにはありません。十数葉のエッチングだそうです。エッチングとリトーグラフィーで主に制作しているのね。大したリアリストです、実に鋭く内的につかんでいます、人間の顔一つが、生活を語っていて。そこにケーテが風俗画家ではない本質があるのでしょうと思います。題材を描いているのではないのです、生活を描いていて。彼女の芸術は良人の仕事の性質でつよめられているのは深い興味があります。きっとそのコルヴィッツというお医者も立派なところのあった人でしょう。
 一九一四
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