お米をいれて、二三日も国府津へ行って来るぐらいのことしゃんしゃんやればいいのに、それをやらず、どっかへ行ってみたいナなんかとばかり云うから、あなたはユリが、少し働いては休養休養という珍妙エリート女史かと訝しそうになさるのね。そうでしょう?
 あら、やっとお恭がかえって来ました。十一日に出かけ、十八日にかえる筈だったところ、十八日にツゴウニテカエリ一九ヒトナル電報が来て、やれやれと思って居りました。まアこれで私の日常も再び順調になります。仙台のおみやげという堆朱《ついしゅ》のインクスタンドだの、お母さんのおみやげのころがき玉子。
 茶の間の隅に山田のおばあさんのくれた四角い台を出していて、その上には諸国土産が一揃いのって居ります、箱根細工の箱のハガキ入れ(稲子さんみやげ)鵠沼の竹の鎌倉彫りのペン皿(小原さんという、お恭ちゃんをよこしてくれた娘さんのみやげ)女の子が彫った小箱(それにはそちらへ送る本にはるペイパアが入っている)朝鮮の飾りもの(栄さん稲ちゃん)そこへこの堆朱も参加して、茶の間のものらしい文具一組です。
 二階のは全く別でね、これは例のガラスのペン皿その他変ることなき品々です。
 きょうは桜草の鉢が机にのって居ります。
『アトリエ』という絵の雑誌御存知でしょう? あの雑誌がグロッスその他の特輯をやるのですって。そして私にケーテ・コルヴィッツのことについてかいてくれと云って来て、私は大変うれしく思って居ります。すこし勉強してかきます、十五枚ぐらい。魯迅なんかがコルヴィッツについてどうかいているかも興味があります。昨夜、ベルリンで買って来た画集出してみて、新しく真摯な仕事ぶりに感服しました。人生的なモティーヴをもっていて。ケーテのようなその級の婦人作家はいなかったのでしょうか、知らないわね。婦人画家というものについてやはり沁々面白く思います、「女らしくない」力量をもった画家として、ロザ・ボンヌールの動物画があげられるけれど、それは女がそれ迄近づかなかった馬市などに出かけて描いたというだけのことです。ケーテなんか女でなければつかまない子供や女の生活のモメントをとらえて、それを深くつよいモティーヴで貫いて、技量も大きいし。日本には二種しか画集がないのですって。その一種は私のもっているの。もう一つの方もかりて見たいと思います。
 女の絵としてローランサンなんかが示して
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